6月30日(火)
<平和な世界>
1年の半分が過ぎた。あと半年すると正月が来るのかと思うと、人生「光陰矢のごとし」という思いが頭をよぎる。1日1日を大切に、出来れば楽しく生きたいものだ。
ナーサリーではシルバーの姉妹が小熊のようにコロコロとじゃれて上になったり下になったりと無邪気に遊んでいる。その傍では母犬が静観している。何と平和で穏やかな癒しの空間なのだろうか。
ふとミディアに目を注ぐと新幹線内で焼身自殺のニュースが飛び込んできた。71歳の身に何が起きたというのだろう。いろいろ事情がありそうだ。だが、自殺したいのなら自分だけで人の迷惑のかからないところでするべきだろう。他人を巻き込む精神構造が理解できない。人生は全て自己責任なのだ。自分が成した原因が結果となる。ひっそりと命を絶つのではなく、新幹線内と言うミディアが最も注目する空間でアピールするなど甘え以外の何物でもない。また、個人の事情のためあるいは主義主張のために他人を犠牲にする権利などあり得るはずがない。
昔「犬畜生」等とワンコを見下げた時代があったが、今ワンコより劣るのは人間の方なのではないだろうか。亡くなった方には心からのご冥福をお祈りしたい。
6月26日(金)
<作品>
我が家の庭はバラの季節がほぼ終わり、クレマチスとアジサイに移行している。クレマチスは枝が細くうっかりすると雑草と一緒に抜いてしまい、植えたはずなのにさっぱり咲かないなあ~(当たり前だが)と半ばあきらめていた。だが、昨年あたりから「どうしてこんなに花をつけているんだい?」と言うほどに咲き誇るようになった。今では薔薇のために設置したアーチを占領するまでになった。これに自信を得て今年は更にラベンダー色やダークレッド色にも挑戦してみたい。
当犬舎のこのあたりは江戸時代以前からの農家さんが散在している。近くのレストランと提携して有機農法の新鮮な食材を提供している庄子さんと知り合いになったのは主人との散歩がきっかけだった。広い畑にたわわに実ったブラックベリーやブルーベリーを発見したことからお近づきになり、やがて夏になるとアーティチョークが目に飛び込んできた。南ヨーロッパを旅した方にはなじみがあると思うが、私達も南フランスやイタリアの旅行では必ずと言って良いほどアーティチョークの恩恵にあずかったものだ。少し分けていただいて調理したが、やはりプロにはかなわない、卸しているレストランを紹介していただいた。すると、何と我が家から徒歩5分の「ビストロ・アンプル」がそうだと言う。そのレストランのあった所はイタリアン料理で、仙台では知る人ぞ知るという、誰もが唸る程のお店で、子供たちが家にいる頃はよく食べに行ったものだ。だが、お店が町中に引っ越して以来遠ざかっていた。先日「アンプル」に食べに行くと、懐かしい南フランスの料理が私たちの舌を満足させてくれた。庄子農園のアーティチョークをはじめとした有機野菜、提携者からの牛肉、ラム、魚料理が待ってくれていたのである。給仕の女性の感じ良さも手伝って、今後も一躍ファンになりそうだ。
昨年お預かりしたことのあるご近所にお住いで当方出身のすみれちゃん(ヨークシャテリア1.4kg)が再び我が家を訪れてくれた。この度はお兄さんのご不幸とのこと、昨年のお父様に続き悲しい出来事の最中、すみれちゃんの存在が周りを明るく照らしているようだ。お預かりしている数日間、私が昼寝をすればお腹の上にべったりと寝そべってくれる。他の子達ともつかず離れずと協調性がある。上手にトイレが出来てご褒美をあげようとすると、自動的にお座り、右お手、左お手とするのが微笑ましく可愛らしい。
ワンコは、ただ生ませて売ればよいというのではない。理想を追い求めて出来上がった作品を自らの生きがいとしたい・・・。
※ヨークシャテリアは、秋以降に出産予定です。
6月18日(木)
<南三陸への小旅行>
ワンコのお産の合間にかねてから行きたかった南三陸志津川に主人と日帰り旅行をしてきた。車で約1時間半、いつもの見慣れた小都会?とは別世界の自然の風景が素直な気分にさせてくれる。目の前に展開する木々の緑や山、そして海の景色に細胞までが生き返るようだ。途中やたらと大型トラックが多いのは津波で破壊された町の復興工事の最中だからだ。砂ぼこりを蹴散らして大きなダンプカーがすれ違う。あの東日本大震災から早4年余り、復興工事がまだ続いているのだ。
さんさん商店街に無事着いた。まだ仮設住宅での商いなのだ。お目当ての「きらきらうに丼」を「志のや」で注文すると中央に設置された共同の食事処で主人と食べた。他にホヤの酢和え、刺身の盛り合わせ…と並ぶとほんのり磯の香りがして海の近くに来たことを実感した。ミョウバンを使わないウニのお味は最高に美味でした~。
ささやかな復興支援のつもりで、おみやげ店でいろいろ買った。「たこキムチ」「ウニキムチ」「かわはぎ」「イカの塩辛」「イガ付生うに」「わかめ」。家で食すると、どれもスーパーで売っているものより数段美味しかった。
帰りは津波に襲われて死亡者を出した防災対策庁舎の前を通った。鉄骨の骨組のみ残存していた。花束が見え隠れしていたが、きっと切れることなく手向けられているのだろう。車を止め、しばし合掌した。
日本製紙工場は日本で使われる紙の4割を造っている会社だそうだが、その石巻工場を地震と津波が襲った。三十三万坪の工場はめちゃめちゃになり、完全に復興するのに3年はかかると言われたのが、工場長のリーダーシップと社員の和でわずか半年での復興を成し遂げたのだった。奇跡とまで言われた。雄々しくたなびく煙突の煙が復興の逞しさを物語り、感動で涙が溢れ出た。
帰ってきて改めて南三陸の津波の動画を見たが、穏やかなあの志津川湾が荒れ狂ったことなど未だに信じられない・・・。
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テーブルの下で井戸端会議中の3人 |
<今後の予定>
①里子 プードル ブラック ♀ 6歳 タイニーサイズ(2.7kg)
避妊手術・歯石除去済み 近日中に 里親様募集
②4月17日生れ ティーカッププードル アプリコット オス、メス
「子犬の情報」にて今晩からアップ予定。
③11月22日生れ 生後5か月半現在2.0kg プードル シルバー オス *目のくりくりしたキュートな男の子です。種牡として取っておく予定でしたが、一般のご家庭で可愛がっていただける方に譲渡させていただきます。*今晩「子犬の情報」にアップ予定。
6月13日(土)
<ダウントンアビー>
ダウントンアビーシーズン4が終わりました。今まで何人かの配役が死亡致しましたが、マシューのあのうっとりする綺麗なお顔が拝めないことが一番残念です。どうもギャラが合わないとのことでマシュー役の何とかいう俳優が辞めたためにストーリーの中で事故死ということにしたようです。もっと自分の立場をわきまえてもらいたかったです(^_^;)。メアリーはあまり好きなタイプではなく、不運続きの妹イーデスの方に魅力を感じます。
また、同世代としてヒューズさん、パットモアさん、そして、マシューの母親のキャラクターに共感を覚え、ああいう言い回しや行動のとれるシニアになりたい、と憧れさえ抱きます。
NHKやスターチャンネルをご覧になっていない方には、「何のこっちゃ」と思われると思います。
が、タイタニックの時代のイギリス貴族の優雅さにうっとり酔い痴れているのは私一人ではないと思います。彼らのファッションやお城(マナーハウス)のインテリアは大変参考になります。日本語版では物足りないのでDVDを購入してエレガントなイギリス英語の発音を楽しんでもおります。毎日繰り返し見ているダウントンアビー、シーズン5が待たれます。
6月9日(火)
<ポルカの異変>
いつもきちんと定位置のトイレに用を足しているポルカ(シルバー)が別の所にするようになった。コレッタのケージの前のブルーシートの上なので、ふき取ってしまえば問題はないのだが、どうして急にトイレの場所を変えたのか不思議に思っていた。
ある時子犬を育てているコレッタをおしっこに出すため犬舎に連れて行った。ふと見ると、コレッタのケージの中にポルカが入って赤ちゃんのおしっこを舐めているのだった。「だめだよ、ポルカの赤ちゃんじゃないでしょ」と、言ってすぐにケージの外に出したが、その時ハッと気が付いた。コレッタの赤ちゃんの世話をしたくてケージの前におしっこをするようになったんだ、と。
そう言えばポルカは愛情深い母犬で、自分のお産が帝王切開だったとき、痛いことも忘れて積極的に赤ん坊の面倒を見ていたものだった。中には痛くてそっぽを向く親犬もいるという中、優秀な母親だった。きっと何かの意味を持ってコレッタの赤ちゃんのいるケージの前でオシッコをするようになったのだと理解した時、トイレの場所はここに変えてもいいか、という気持ちになった。
意味がないようでもワンコはワンコなりの理由があることを知り、奥深いその心を知ることが出来たように思った・・。
<成犬譲渡のご案内>
シルバーオス 生後1歳2か月タイニーサイズ(2.6kg、ほぼ一定)。
お顔が可愛い男の子です。種牡で取っておく予定でしたが、可愛がっていただけるご家庭に譲渡させていただきます。お散歩のお相手に最適です。ひょうきんで飼い易い子です。詳細は下記サイトにて。
成犬譲渡のページへ
6月5日(金)
<ハコネウツギ>
数年前まで庭の一角を占めていたウツギの木。うっそうとした大木になったためと薔薇を植えるため根元から切ってしまった。お蔭でそのあたりの日当たりは良くなったが、反面ふと寂しさが去来した。それは、このウツギは11年前に亡くなったゴールデンのシオンと10年前に亡くなったコーギーのボニーの思い出に繋がる木だったからだ。木を切ってしまったことで彼らがいたことすら記憶から抹殺されるような心苦しさと申し分けなさを感じていた・・・。
10数年前2頭を連れてよく主人と朝の散歩に出かけた。20分ほどの短い散歩だったが、彼らにとっては1日の内の1番の楽しみの時間だった。
その散歩コースの途中に空き地があった。ふと立ち寄ると、白い花にピンクの花が混じった1本の木に目がくぎ付けになった。1つの木に白とピンク・・・変わった木だな~、なんて可愛いんだろう、花の形も気に入って虜になってしまった。思わず枝を手折り家に持って帰った。水差しするとしばらくして根が出てきた。そして、庭の一隅にその小枝を植えると、うまい具合に根付いて年を経るごとに立派な枝葉をつけるようになったのだった。
ちょうど薔薇と同じころに咲くので一緒の花瓶に挿すと白とピンクが同系色で良い具合に決まった。
シオンとボニーとの散歩がなければ決して知ることのなかったこのウツギ、しばらく名前が分からないままだった。何ウツギなのだろう・・。ネットで調べると「ハコネウツギ」だということが分かった。あまり扱っているところがなかったが、やっと購入先が見つかりこの春ポットに植えこんだ。まるでシオンとボニーに再び会えたような錯覚に陥った・・・。
<シオンとボニーの思い出> 2005年 3/21のダイアリーより
お客様が見えるので久しぶりに玄関、駐車場の周りを掃除する。寒さとワンコの世話にかこつけて最近放ったらかしだった。アプローチのビヤ樽には去年植えてそのままにしていた1年草があわれな姿でミイラ化している。例年のことだが、犬を取るか、花を取るかで迷ったあげく、決まって花が負ける。同じ命でもやはり情を交わしているワンコの世話が優先で花は後回しになる。時に炎天下で半分以上も立ち枯れ状態に気づき大慌てで水を撒くことしばしば・・・あやうく命を助けられた花もあれば間に合わなかったものもある。ガーデナーが知ったら「もってのほか」とお叱りを受けるに違いない。 門を出て駐車場を掃除するとゴミと一緒に白っぽい毛が塵取りに混じっている。懐かしさで胸がキューンとなった。この毛は去年2月に亡くなったゴールデンリトリバーの「シオン」の毛なのだろうか・・それとも9月に亡くなったコーギーの「ボニー」のものだろうか。亡くなってから何度か掃除はしたはずなのにマットの下に忍び込んでいたらしい。早春の風があの頃の記憶をまざまざと蘇らせてくれた。このマットの位置に「シオン」が、そしてあの位置にボニーが・・・。突如ホロスコープが映し出される。駐車場奥のシオンの指定席側のレンガには今でも血痕がついている。大分風化して目立たなくはなっているが、晩年鼻孔癌で亡くなる前、鼻からの出血が苦しくぶるぶるっと振ってはレンガに撒き散らしていたものだった。朝の散歩の後、2頭は駐車場のフェンスに繋がれて番犬の任務を果たしていた。番犬といっても一応ワンワンとは吠えるが、誰にでもなつき、ふと玄関窓から覗くと訪問者相手に仰向けにひっくり返ってじゃれている。同じゴールデンでもけたたましく吠え続けるわんこもいるという中、番犬の役にはたたないが、「性格の良いわんちゃんですね~」とよく褒められた。心が優しいことは天下一品で、夕方の薄暗い時刻、リードを片手に前庭を通って運動場に移動するときには、私がテラコッタや花壇につまずかないようにと歩度をゆるめてくれるのであった。散歩をする時にも決してリードをひっぱることがなく、リードを持っている意味がないためお決まりのコースのほとんどはリードなしで歩いた。途中、人に出会うと誰彼かまわず、走り寄ってあいさつをし、仰向けになって愛想をふるう。春先の肌寒い頃、運動場でシオンの背中はプードルの温かいベッドになった。物音にワンと吠え立ち上がるシオンに昼寝を妨げられたプードルたちは一斉にひっくり返る・・・。今思い出しても懐かしい牧歌的光景だ。唯一の外飼い仲間のボニー(コーギー)とは特別仲が良いというわけではなかったが、運動場で日頃は別々の場所に座りながらも時々はじゃれて遊んでいたようだ。フェンスがどったんばったんと音がするので見てみると「ぐぁうー、ぐぁうー」と取っ組み合いをしてレスリングごっこをしている。たまにおいしいおやつをやるとあっという間に体の大きいシオンに食べられてしまう。ボニーは残り物をすかさずせしめようとするが、大概は失敗に終わりシオンに一喝され取られてしまうのだ。そんなでこぼこコンビではあったが、密かに友情が育っていたことを知ったのはいつもの散歩をしている時だった。よそのワンコが落としていったウンチをボニーがくわえた折、感染症を懸念した私はボニーをしこたま叱った。確か頭をたて続けにたたいたと記憶している。と、その時だった、すでに広場に躍り出て遠くにいたシオンが何かを感じて猛スピードで走り戻ってきたのだ。そして何を思ったか叱っている私に向かい片足を「お手」して「そんなに叱らないで」と懇願しているではないか。それがいつもの「お手」と違う証拠には頭を低くして申し訳なさそうな顔をしているのだ。自分がした過ちにごめんなさい、をしているのではない、いつも側にいる同居犬のために平身低頭して謝っているのである。まるで「こいつが何をしたかは存じませんが、何とか許してやってはいただけないでしょうか?」と言っているようだった。
体育館の大きな階段は恰好の運動場だった。一緒に登ったはずの階段脇の隙間にサッと隠れると、私が居ないことに気づいたシオンがきょろきょろ探している様子を見てからかうのは一興だった。生後6か月で仙台空港に降り立ち、大きいのにびっくりしている人間を尻目にあれよあれよという間に横付けした車の座席にちゃっかり乗り込んだ。以来子供たちの多感な時期を共に過ごした10年間・・・海川に行って一緒に泳ぎ、朝市に連れて行って買い物をした。近くの河川で土手を登ったり降りたり・・・かもの親子をねらっては叱られた。家の中でゴールデンを飼う家庭もある中私はどうしても毛が飛ぶのが嫌だった。だが、シオンは生涯で2度ほど家の侵入に成功した。1度目はいきなり台所に座っていたのだ。2度目はダイニングの壁横に匍匐姿で目尻をさげて横たわっていた。そして3度目、亡くなる3日前にやっと念願が叶い憧れの家の中に堂々と入れたのである。前の年に癌が発見されて半年の命だと告げられた。そして予告通りちょうど6ヵ月後の2月1日、シオンは静かに息を引き取った。シオンの臨終は多くの「身内」を引き寄せた。父母はもちろんのこと、地元大学院の近くに住む次男、嫁いだ長女が会いに来た。日吉の大学にいる三男は試験の最中で来れなかったが、医学生だった長男は医師国家試験が目前だったにもかかわらずはるばる5時間もの列車を乗り継いで看取りにやって来た。長男の大学受験は過酷だったが、どんなにかこのシオンに助けられたことか。よく夜中に、気分転換を図りシオンを連れ出して公園に行ったものだ。意識不明の中、大好きだった主人を起こし、私を起こしてシオンは逝ってしまった。1年前の寒い夜だった。
その後ボニーは、やっと愛情を一人占めできたにもかかわらず半年後シオンの後を追うように5歳で逝ってしまった。思いがけない交通事故だった・・・。
以来、主人と私の散歩をお供するわんこがいない・・・。
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シオン |
ボニー |
<お知らせ>
成犬譲渡のご案内
2011年 11月生まれ ティーカッププードル シルバー(1.9kg) ♀
2度ほどお産をしましたが、以後は家族の一員として可愛がっていただける方に譲渡を希望いたします。マズルが詰まって目が大きく、体型がドワーフ、毛量豊富。私の理想に近いプードルです。犬質の良いシルバーで希少犬ですので、有料になりますが、同じレベルの子犬の半額でご提供させていただきます。避妊手術済み。詳細はHP「成犬譲渡」のサイトをご覧ください。
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