アマンダおばさんの
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7月7日(土)

<オーストリア・チェコへの旅 その1>

先月22日より8日間の短い旅だったが主人とオーストリア・チェコの旅に出かけてきた。今は誰しもが海外旅行に行く時代、珍しいこともなくあえてお披露目する必要もないほどであるが、一応ダイアリーなのでぶつぶつとつぶやきながら私流の海外旅行を振り返ってみることにする。

 
行ってきま~す。


 私の場合旅行を計画するのは大抵5、6か月ほど前だ。旅行といえどもその間の居住空間になるホテルには拘る。そこに居て居心地の悪い空間にはあまり居たくないので、インテリアが納得のいくものを選びたい。半年前だとホテルも部屋もまだ空きがあってより取り見取り。「この部屋に泊まりたかったのにもう予約済みだった」、ということのないようにまずホテル選びから始め、早めに予約しておく。十数年前はインターネットが普及していなかったため予約は主に直接電話かファックスで送る場合が多かった。が、今はBooking. comがほとんど。選ぶ基準はまず評価の高い順に見ていく。大手チェーンホテルは例え4つ星or5つ星であっても基本的には選ばない。大ホテルだと時にスタッフの態度が横柄で冷たいというのが多い。1F入口のフロントやゲストルーム辺りが豪華でも各部屋の内装が味気ない場合がある。

 
シェレメチボ空港にて


 評価が高い順、特にスタッフがfriendlyhelpfulというところをまずチョイス。どんなに豪華なホテルであってもスタッフの感じが良くないと旅行自体楽しくなくなるからだ。そして、その次に、部屋のインテリアがその土地の歴史を感じさせるものであること。ベッド、ソファー、ライティングビューロー、クローゼットや調度品はアンティークがベスト。そこまでいかずとも、家具はクラッシックなものがベター。次にロケーション。出来れば観光の名所になっているところの近くに宿を取る。なぜなら名所になっているところは美しい所が多く、観光客のいる日中を避けて朝早く及び夜遅くまで辺りを散歩することができるからだ。ホテルからも景色が見えるので最高だ。幸い観光客で煩く眠れないという経験は今までない。半年前だから部屋は好きなのを選べる。折角行くのだから気に入った部屋を選ぶ。すると結論は・・・、スタッフの評価が高い、観光名所に近い4つ星以上の中ホテルかプチホテル、出来るだけ広く良い部屋(スウィート、デラックスダブルルームなど)ということになる。経済的に安く済む方法はいくらでもあるが、先が短い我々にとっておそらく2度と訪れることはない一期一会の旅、彼の地では気に入ったホテルの気に入った部屋を取ることにしている。予約は前(々)日まではキャンセルフリーなので、何件か予約しておいてあとで一つに絞っても全然OK。但しキャンセルチェックは必至。

 
ウィーンのホテルからの眺め


 というわけで、今回訪れたウィーン(3泊)、チェスキークロムロフ(1泊)、プラハ(2泊)とも大方満足のいくホテルに泊まることができた。


















 ヨークシャーテリアの成犬















<次回に続く>


7月9日(月)

<オーストリア・チェコへの旅 その2>

ホテル選びが一段落すると次は、航空機選び。HISで安い順に見ていく。今回もアエロフロートを利用。乗り継ぎ便だが、シェレメチボ空港でロシア料理を食べるのがちょっとした楽しみで選択。1年半前と違って免税店の改装工事が終わり充実した施設になった。飛行機のアテンダントはますます親切になったように思う。日本人アテンダントがいないためかロシア人がアナウンスするのだが、拙いながらもちゃんと敬語を使った日本語で好感が持てる。アエロフロートも企業努力をしているんだな~。




 ウィーンのホテルでは受付、ビュッフェ、ルームクリーニングのどのスタッフも皆感じが良く最高の気配りで接してくれた。皆笑顔が素晴らしい。もっともフランス(特にパリ)、イタリアに比べるとドイツ、オーストリア辺りは誠実できちんとした国民性があるようだ。皆様もご存じのように欧米を旅行すると会うとニコっと笑って会釈するのが慣例になっているが、これは陸続きで常に侵略の歴史があったため、面と向かった相手が敵ではないということの意思表示なのだ。日本は島国のためあまりそうした意識はないが、この「ニコっ」は大変良い表現だと思う。日本でも広がると良いのではないだろうか。





 ホテルから歩いてほんの数分のところで毎日市がたっており、特に1日目の土曜日はアンティーク市の日だった。あいにくの雨だったがちょこっと覗いて楽しんだ。繁華街まではちょうど良いウォーキングコースになって便利だった。





 ベートーベンのゆかりのコースをガイドの人に案内してもらう。学生時代に語学留学で来て以来地元の人と結婚して日本人向けにガイドをやっているそうだ。どの国でもガイドをされている方はこのパターンが多い。ベートーベンがあのシンフォニー6番(田園)の構想を練ったという郊外の散歩道を歩いてみた。今は高級住宅地になっているという。途中その奥様方だろうか、ワンコを連れてお散歩をしている面々に出会った。その中の一人に散歩は1日何回するのかと尋ねると、3回だそうだ。「たいへんですね~」と言うと、「椅子に座りこんでポテトチップやケーキを食べているより犬と歩く方がずっと健康的だ」とのこと。なるほど。










   
   





















 
ワンちゃんの井戸端会議


   
 シルバープードル


<次回に続く> 


7月26日(木)

<苛め問題に思う>

駐車場の軒先にツバメの夫婦が例年のようにやってきて卵を産み雛を育てていたが、先日無事5羽の子ツバメが自立飛行に成功し飛び立って行った。巣が途中からほころびて子ツバメが落下したことがあって以来、主人は「これはいかん」と真剣に巣の補強工事をした。そのかいがあってか今年は全員無事に成長した。5月~6月の緑の季節、近くには新笊川という自然がまだまだ残っている当地、餌になる虫には事欠かない。必死でくちばしをあけて餌をねだる5羽の子ツバメに親ツバメは休む暇もないほどに餌運びをしていたのだ。雨の日もちょっと体を休めるのみ、雨天決行でひゅーっと飛んでいく姿を目にした。本能とはいえ何と感動的であろうか。親は子のためなら自分の命さえいとわない。今はすっかり空になったツバメの巣や置き土産の落ちた糞を寂寥感一杯に眺めている私たちである。
 気軽に書いておられるブログが多い中、私のように理屈っぽいダイアリーはいかがなものだろうかと思うことしばしば。だが、ある年齢になったら(たぶん60歳過ぎ)人生を重ねている分何かしら人生を語れなければいけない、という文にぶち当たり、違っているかもしれないが、反面教師として受け取っていただいてもいい、若い方に少しなりともお役に立てればと、今回も私の意見を述べさせていただくことに致します。
 滋賀県の当時中学2年生の苛めを苦に自殺した事件に関して連日報道が過熱している。4人の子育てを終了した私ではあるがやはり無関心ではいられない。私なりに子育てから感じたことを書いてみたい。
 自殺した生徒のご両親が当初幾度も学校に調査の依頼及び報告書の開示を求めたが応じてもらえなかったという。学校はあくまで自己保身に汲々としていた。改めて学校が公務員体制の閉鎖された社会であることを感じさせられる
 我が家の子供たちの事を振り返って見るとちょっと思い当たることがある。次男が小学高学年の時だった。新学期が始まり、新しく担任になったA先生は経験豊富な中年の男性であった。やがて家庭訪問があった時、「K君はとても素晴らしいお子さんですね。人にやさしくクラスでも人気者、リーダー的存在ですよ」とこれ以上の褒め言葉はない程に評価して帰られた。ところが・・・である。何日かしてある事件が起こった。ちょうど担任の先生が用事で自習にするという日の事、次男の親友H君が熱を出し具合が悪いというので次男が友を伴って保健室に連れて行った。その後その友が家に帰りたいと言うので、次男は友達の家まで歩いて送って行ったそうだ。その際、担任の先生が不在のため子供の知恵では思いつかなかったのだろう、他の先生に断りなく学校を後にしてしまったのだ。友を送った後すぐに戻るつもりでいたらしい。だが、この後生徒2人がいなくなったことで学校が大騒ぎになった。他のクラスの先生より「K君とH君がいないのですが、家に帰っておりませんか?」と電話があったり直接来られたりした。何が何やらわからないうちに、やがて「見つかりました。友達のH君の家に居ました」と報告いただいた。要は先生に断りなしに学校を出たということが問題だったのだ。この判断は、例え担任の先生が留守だったとしても次男の誤りには違いないので、次男には主人を通して注意してもらった。その後担任から呼び出しを受けて主人が謝罪してきた。ここまでは良かったのだが、その後である。先生の事は悪く言わないのが我が家流であるため次男はあまり話さなかったのだが、その日以来次男と友達H君は激怒した担任のA先生より不良扱いをされるようになったそうである。それまで「良いお子さん」だった2人が一変して「不良児」になってしまったのだ。学校の事は先生を信頼して「お任せの心」でいる我が家なので詳細は分からなかったのだが、当時塾を経営していたため、有難いことに?塾生のお母さんで学校の内情に詳しい方がいろいろと教えてくれた。「あれ以来K君とH君がA先生に不当に差別されているとうちの子から聞いたんだけれど、A先生は教頭に昇格間近かだったため自分の担任の生徒が不祥事を起こしたことで立場が悪くなることを心配したからだったようですよ。」 こにも教師の自己保身が浮かび上がってくる。
 ちゃんと断わりを入れなかった次男に非があることは明らかなのでそれ以上問題にすることはなかったが、純粋に生徒を教え導く教師の姿とは別に政治的な裏の姿があることを垣間見た出来事だった。子供なのでその時はわからないようでも成長した後で必ず振り返る時が来る。「小学校のあの先生はこうだったな~。中学のあの先生はこういう人だった」と、大人になればわかるのである。 生徒が社会人になった時に人間として評価される教師になってほしい。出来れば教師にならんとする人は、一度何年か一般の企業で働いてから教職に就いてはどうだろう。一般の企業に就職した場合は、必ずや先輩や上司、また取引先の相手があって最初の何年かはだれに対しても平身低頭の丁稚見習いの身分から始まるのだ。思うようにならないことや失敗、試練、軋轢その他さまざまなことを経験して大人の中で揉まれいっぱしの社会人として鍛えられる。だが、教師は大学を出たとたん「子供たちの親分」になるのだ。同僚の先生との上下関係はほとんどないそうだ。これでは自己研鑽の場はないのではないだろうか。
 苛めと言えばこんな経験もある。辛辣ないじめを継続的に受けた経験はないが、長男が中学3年の時何人か友達とで遊んでいた折、別の中学校の生徒達からカツアゲ&暴行をされたことがある。睨んだ長男が気に入らないと集中的に傍にあった板などで殴られた。プライドがあるので親には言わなかったが、これも遭遇した友達のお母さんからの報告によって知らされたことだった。「どうして助けてあげなかったのかと、うちの子を叱っていたところです。逃げた先から遠巻きに見ていると、数人の他校生に囲まれて次々と集中的に暴行を受けていたのだが、その中の一人が止めろ、と言ったので重大なことにならずに済んだけど、あのままではどうなっていたかわからない」とのこと。長男を見ると頭に怪我をしているようだったがその後病院に行って治った。悲惨なことにならずに済んだから言えるのかもしれないが、長男はこの事件から成績だけでは通用しない別の世界があることに気が付いたのではないかと思う。自分の身は自分で守るしかない・・・と。その証拠に高校の部活は柔道部を選んだ。引き続き大学6年間も柔道を続けた。 ボクシングの内藤選手が小さいころは母子家庭のためかよくいじめに遭ったという。そのいじめがボクシングにかられた理由だそうだ。
 滋賀県の被害者には加害者の生徒を初め、学校の対応の悪さ、警察の無責任さの犠牲になったことに心から遺憾の意を述べたい。学校や教育委員会、警察には非難が殺到しているという。私も学校の体制然として保身を重んじる血の通わない応対ぶりには怒りを感じる。依頼があっても無視し続けた警察にも職務怠慢で腹が立つ。だが・・・、だが、あえて言わせてもらえれば、根本のベースになるのは家庭ではないだろうか。夫婦の絆、親子の絆、家族の一人一人を大切にする家庭の存在、そして尊敬できる父親のリードのもと愛情豊かな母親の存在があるかどうか・・・。例え今後学校がより良いものに改善されたとしても、また警察がもっと細心の注意を払って職務を遂行するよう努めたとしても、人間を育てる大元の家庭に倫理性がなければこうした苛めは無くならないのではないだろうか。
 加害者の家庭を含めて今一度大人である私たちが親としての有り方を振り返って見る時期に来ていると言えよう。健全な家庭の子供は例えいじめに会ってもそれをバネとして乗り越えていく。また、逆に健全な家庭からは他人をいじめる子供は産出されないのだ。

 
ヨークシャテリアの成犬

 いずれにしても、どんなことが起きていようが、どんなに苦しかろうが自殺すべきではない。時が過ぎれば、そして場面が変われば必ず好転する時が来るからだ。きっといつか、「あの時死ななくて良かった!」と思える日が来る!











7月31日(火)

オーストリア・チェコへの旅 その3

チェコに向かう途中是非行ってみたかったチェスキークロムロフまでロボバスで向かうことになっていた。ウィーンの駅でロボバスを待っていると、数メートル先からこちらに向かい手を振っている女の子がいる。日本人なのか、あるいは他のアジア人なのか、いずれにしても個人旅行なので知り合いはないはず。後ろを振り向いてみると誰もいない、とすると私に挨拶しているのか。英語で近寄ってきた。「あなたもチェスキークロムロフに行くためにロボバスを待っているんですか」「そうです」初めて会ったばかりの若い女性の笑顔に魅了されてしまった。オーストリアからチェコの国境を超える頃から道路の舗装がよくないのか乗車人数十数名の小さなバスはお尻が痛くなるほど揺れてチェスキーへ。途中のトイレ休憩ではたまた例の女の子に会った。「どこの出身なの?」「香港です」「一緒の男性は友達?」「はい、一人は主人でもう一人は主人の友達です」流ちょうな英語で答えてくれた。発音も完璧だ。3人とも知的階層のように見えるが、それにしても同じ日本の若人と比べて英語力は雲泥の差がある。

 
ブルタヴァ(モルダウ)川とチェスキー・クロムロフの町並


 それぞれのホテルに降ろされ、予約通り真ん前にチェスキー・クロムロフ城が見える屋根裏の広い部屋に宿泊した。お勧めの美味しいレストランは?とフロントに聞くと目の前にあるという。本当かいな、と半信半疑でホテルの目の前のレストランに入ろうとすると外まで客で満杯だ。見ると中国人(本土)の客で溢れていた。後で知ったのだがここはチェスキーきっての有名レストランだったそうだ。運よく開いた席に座るが呼んでもなかなか注文を取りに来ない。やっと来たウエイトレス嬢は何か怒っている様子、はなはだそっけない。元共産圏の名残なのか、日本だったらとっくに首だね、などと話しているとやっとその理由が呑み込めた。原因は中国人の客だ。特有の大きい声であたりかまわずしゃべったり笑ったりしている。たぶんこのウエイトレスに対して他にも何か嫌なことを言ったか、したのであろう。そう言えばウィーンのシェーンブルグ宮殿でも中国人の添乗員が他の添乗員と口論をしていた。他の国々でも海外旅行を許されて以来中国人はそのマナーの悪さで評判を落としている。撮影禁止の所でお構いなしにフラッシュをたく、平気でごみのポイ捨てをする。が、日本人も過去に同じ経過をたどってきたものではないだろうか。中国(本土)の方々も広く世界を旅行することによって、グローバルなルールというものを理解してもらいたい。
 通りに面したテーブルで食事をしているとロボバスで会った3人組に再び出会った。3人とも何年も前からの知己であったように満面の笑顔で再会を喜んでくれた。


チェスキー・クロムロフ城 









 時が止まった中世の宝箱のようなチェスキー・クロムロフ。この可愛い町を翌日の夕方までたっぷりと味わうことができた。旅行者だろうか、お供のワンコはヨークシャテリアが圧倒的に多い。人気の犬種のようだ。


お散歩中のヨークシャテリア 


 スチューデント・エイジェンシー社のバスで一路次の目的地プラハへ。またまた香港の3人組と一緒の旅だった。
<次回へ続く>



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