アマンダおばさんの
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8月8日(水)

幸せはどこから?

庭のプチトマトがたわわに実をつけている。今年はイタリアントマトと紫トマトのミニを植えた。台風で折れた枝もあったがその他は何とかスルーし、隣とのフェンスの高さを超えるまでに成長した。お蔭で毎日リコピンの補給に食卓を賑わせている。

 
紫プチトマト


 連日テレビでのオリンピック観戦ですっかり深夜族になってしまった。朝にはワンコ達のいつもの世話が待っているので睡眠不足でフラフラの毎日ではあるが、誰もがそうであるように選手たちの力を出し切った奮闘ぶりには感動を覚えずにいられない。
 試合の前には必ず国旗を掲揚し国歌を歌う。そこには自分のためだけという利己主義は存在しない。所属するチームのため、応援してくれているサポーターのため、見守ってくれている両親や家族のため、そして国の代表として来ているからには母国のために一生懸命ベストを尽くすのである。国中一丸となって「にっぽん」を応援する。日本にいるからには日本の法律に従い日本のために働いている、また恩恵にも浴している。どの国も愛着をこめて国歌を歌い国旗に敬意を示すように、日頃から日本もそのようであって欲しいと大会の度に思う。
 いずれにしてもオリンピックを初めスポーツの大会が感動を呼び起こすのは、自己実現のみならず誰かのために力を尽くす純粋な姿に心動かされるからではないだろうか。
 誰かのために・・・と書いたが、究極私たちが生きている意味はそういうことではないかと思う。自分のためだけに生きる人生に本当の充実感はない。夫婦であれば互いの伴侶の喜ぶ顔が見たくて毎日を過ごす。親であれば子供が笑顔で幸福に人生を過ごせるよう力尽くす。ビジネスでは利益追求だけではなしに、どの職業でも顧客の喜ぶ顔が見たくて仕事をするのだ。それでは、たった一人ワンちゃんと過ごしている人はどうなのかと言うと、これもまた同居のワンちゃんを幸せにするために生きていると言って良いだろう。誰かのために自分が役に立っているという気持ちが自らの幸福を生む。
 自殺者が後を絶たないが、一度自分という狭いテリトリーから抜け出して他人に目を向けてみてはどうだろう。小さい事でいいのだ。道端で歩行が困難なお年寄りに手を貸しても良い、場所がわからなくて困っている旅行者に道案内をしてもいい。階段でベビーカーに手をこまねいている若いお母さんに手を貸してあげるのも良い、川遊びをしている子供たちに一言「危ないから気を付けて!」と注意するだけでも良いのだ。なんでもいい、どうしたら周りの人の役に立つだろうか喜ぶだろうかと、ちょっと考えてみればあれもこれもと思いつくはず。勇気を出して他人の幸せのために行動してみよう。きっと誰しもがあなたの行為に感謝の気持ちを返してくれるに違いない。自分中心にしか考えられなかった世界とは全く別の世界があなたを訪れるだろう。
 全て「出せば入る」。出す方が先なのだ。他人様の幸せを願う心を出しその心を行動に移す時、必ずや自分の幸せとなって返ってくる。

 
ブラック・プードルのお迎えで満面笑顔のお嬢ちゃん





















8月14日(火)

ワンコ達と暮らしていると・・・

オリンピックも無事閉会式で幕を閉じ、ここ何日か続いたオリンピック熱と睡眠不足にようやく終止符が打てそうだ。昔から深夜に起きて何かごそごそするのは好きな方なのだが、こう連日となるとさすがに寄る年波には勝てず・・・、しかもただ深夜に起きているのは良いとして、その間に飲み食いしてしまうのが怖いのであります。手持ち無沙汰だとどうしても冷蔵庫に走ってジュースやウーロン茶に手を伸ばしてしまう。あげくちょっと小腹がすいたといってはいつの間にかカップヌードルやお菓子に手を伸ばしている私。お蔭で、ここ2週間で1kg増えてしまった(涙)。短パンがパッツンパッツンで、何か背中まで肉がついてしまった感じだ。断食の日を何日設けたら元に戻るのやら・・(注;もっとも、元も大して痩せてはいないが・・)。


 食べ物といえば、年々動物の「肉」が食べられなくなっている。これはただ単に年を取ったからだけではない。毎日ワンコ達の純粋であどけない顔を見、可愛い仕草を見ていると、例え違う種類の動物であってもそのお肉を口にすることができないでいるのだ。夕食もほとんどが魚か豆類、野菜系統で、肉料理の出番は極端に少ない。息子たちが帰郷した際何が食べたい?と聞いて答えが「ステーキ」などと言うものなら、「ウっ」となりながら仕方なくお相伴にあずかる。「可哀相に・・・」等とつぶやきながら、それでも完食するところが少々矛盾しているが。当地の大津波で、農業高校で飼っていた馬20頭ほどの内半数以上が流されたニュースを聞くと、場面を想像してはどんなにか苦しかったのかと胸つぶれる思いで涙が溢れ出た。また福島の原発汚染のニュースで度々画面に出てきた牛のつぶらな瞳がフラッシュバックしてとても食べられない。
 毛皮はコート等暖かくて重宝し、また毛皮のストールも首元に巻くだけで恰好がつくため以前から着る服に合わせて巻いていた。だが、毛皮はフォックスやミンクが生きたままはがされることを知って以来使用をためらっている。この頃はほとんど使っていないのだが、どうしても使わなければならないときは「ごめんなさい」と詫びながら巻く。
 先日長男が来た時、肝移植の手術のスキルアップに子豚を使ってしていると聞き可哀そうで言葉が出なかった。以前大学病院の裏手を歩いているとよく校内の施設から犬のなき声が聞こえたものだった。実験に使われていたものだろう。今は動物愛護団体のお蔭で犬はほとんど使用されないらしい。代わりにラットと子豚だそうだ。医学の進歩のため必要なこととはいえ、ラットにも豚にも心があるだろうと思うと、切なく哀しい思いが胸を去来する。


 決して良い子ぶっているわけではない。動物の純真な魂に長年触れ合っていると自然にそうなってしまうのだ・・。








   
ブラウンプードル  



8月18日(土)
あるプードルファミリーのお話

墓参りを無事済ませ、帰省した子供たち及び嫁さんが帰った。嫁となるとどうしても遠慮があるようで実の娘のようにはいかない。が、4人の子供達の仲が良く、若い者同士子供連れで公園に遊びに行ったりカップルで集まっては大勢でワイワイやっているようで、親としては「まあ、いいか」と遠巻きに喜んでいる。長男に引き続き来年早々次男の所にも子供が生まれるとのこと、ゆくゆく三男の結婚も・・・となるとどんどん増殖して?大所帯になること必至。4人も子供を生んだのだから考えてみれば当たり前の事なのだが、いずれにしても身内の輪が広がるのは幸せな事なのかもしれない。
 4月、初めてワンコを飼うんです、というファミリーにタイニーサイズのプードル・レッドをお譲りさせていただいた。「写真で見るより可愛いですね!」と有難いお言葉。1週間後ルンルン気分で子犬を引き取って帰られた。あの子なら食も悪くないし、元気で明るい子なので育てやすいだろうと安心していたのもつかの間。「食べないし、飲まないし、躾けもうまくいかない」と予想だにしなかったお電話。どうしてだろう、環境の変化でストレスになっているのだろうか。健診では何も問題なかったのだからもう少し様子を見ていれば慣れるのでは?と更にこまごまアドバイスさせていただいた。だが、数日後「やっぱりちょっと手に負えないのでもうしばらく預かってもらえませんか、有料で結構ですので」とのお電話。状況次第だと思ったが、連れて来たワンコがこちらにいた時と変わらず元気だったのであと2週間程預かることにした。
 古巣に戻ったプードルは前と同じく食欲有り、元気で人懐っこい。怪我でもさせたらたいへんと少々気を使ったが、無事2週間の拘留期間?を過ぎてオーナーさんに手渡した。それからしばらくは無のつぶてだったが、3か月余り経った先日、「○○ですが、またうちの犬を預かってもらえませんか?」とのお電話。「え~、また預かるのかい(汗)」と焦ったが、まもなく、「旅行で4日ほど犬を預けなければならないんですが、普通のペットショップには預けたくなくて・・・。やっぱり生まれ育ったお里が一番かと思いまして」とのお話。そう言うことならOKです。見知らぬワンコではなく、言わば我が家の娘息子、身内なのだからその位はさせていただきます、と快く承諾した。譲渡当初すったもんだしたプードルだったが、様子を観察するとトリミングしてさっぱりしたせいもあるのだろうが、お顔がとてもキュートでイケメンだ。そしてそれより何より情緒がとても安定している。ファミリーの皆さんに可愛がっていただいているのが想像に難くなかった。預かっている間も無駄吠えや要求吠えは一切ない。トイレをさせればちゃんと決まったところにする。もちろん食事も完食。ケージにちょこんと座っている様子が素直で微笑ましい。
 スタッフにも慣れっこく、預かっているのが苦にならないままあっという間に4日目のお迎えの日が来た。お約束の時間より早くにピンポ~ンと鳴った。だが、インターフォンのモニターで見ると何やら競っている様子。なんだろうとモニターに近寄ってみると、聞こえてくる会話よりお母さんと娘さんとでどちらが早くプードルちゃんを迎え出るかで争っていたのだった。玄関を開けると、家族3人がなだれこんで来た。預かっていた時の様子を知らせようとしても何も聞いていない様子。3人が皆プードルちゃんとの再会に感激して興奮している。ワンちゃんの方も家族との再会に千切れんばかりに尻尾ふりふり、お顔をチュッチュしては歓び全開だ。感極まるとはこの事だろう。まるで生まれた赤ちゃんを病院から連れて帰る時のようにすっかり家族の一員になっていたのだ。ワンコ初心者で当初は戸惑うこともあっただろうが、3か月の月日がオーナーさん、ワンコ双方にとって互いになくてはならない存在にしていたことに感慨無量だった。










 
アプリコット・プードル



















8月28日(火)
なでしこの花のように・・>

なでしこジャパンは強かった。庭の「なでしこ」も連日の真夏日にも関わらず辛抱強くピンクの花を広げている。なるほどと思う。
 今月18日、以前から病床にあった母が病院で永遠の眠りについた。老人性の肺炎を繰り返していたが、最後それほど苦しまないで息を引き取ったのがせめてもの幸いだった。生前はよく他人のためにこまごまと気を使い、「おばさんの手料理が楽しみだった」という従妹の証言にもあるように、訪れた人皆に得意の料理でよくもてなしをした母だった。また礼節を重んじ、結婚や出産、高校大学合格等おめでたい出来事やお葬式などそこまで必要かと思われる人にまで足繁く訪ねていっては礼を尽くした。女学校時代の友達からは成績優秀で4年間ずっと級長を務め、先生からは現在の「お茶の水女子大学」への進学を勧められたこともあったと聞かされた。東京に就職後、甘いものが好きな母とよく銀座にお汁粉を食べに行ったという親友。老後は「源氏物語」のお勉強会に通い口語訳に精を出した。だが、娘時代ののんびりした生活とはうって変わって父との結婚生活は娘の私が知る限りDVの嵐だった。何人もの人から「よく顔を腫らしていた」と聞かされた。私が幼い時、夜中にドタドタという大きな音と共に母のうめき声が聞こえ、妹と2人布団をかぶって震えていた光景を今でも思い出す。年老いてまでも程が緩むことなく続き、度々寝込んでいた。文学少女だった母と実業家の父は性格も全く反対、水と油のように相容れなかったのだろう。比較的経済的に裕福に過ごせたことだけが母にとって唯一の取り柄だった。娘2人のためにじっと辛抱してきたのだと思う。あたかも灼熱の夏にもめげずに咲くかの「なでしこ」の花のように・・。
 孫たちから慕われ、多くの人たちに愛されて母は遠い天国に旅立った実の息子以上に母に尽くしてくれた主人には感謝である。



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