6月15日(金)
<12年ぶりの再会>
数日前ご見学の来客があった。12年前当方よりヨークシャテリアをご用命いただいたKさんだった。Kさんというお名前はあまりない珍しい苗字なので、申し訳ないことにお顔は覚えていないがお名前だけは記憶にあった。何日か前にお電話があり、半年前に12年間可愛がっていたヨーキーのRちゃんを亡くし、たいそうお心痛みであることを知った。データを調べてみると、当方のCHタクトとアマリリスとの間に生まれた女の子だということが分かった。
ご来舎いただきお話の中でRちゃんの生前の様子を知ることができた。トイレはすぐに覚え、どこに行ってもおもらしすることは一切なかったという。お母様とは毎晩一緒に寝ていたが、お出かけになったお母様とKさんが電話で話していると、電話の先のお母様の声に反応して喜んでくるくる回ったそう だ。ワンコは耳が良いので電話先の声まで聞こえるのかもしれない。また、お出かけの際衣服を着替えるともう外出ということがわかり、Rちゃん自らトイレに行っておしっこを済ませ、玄関でスタンバイして待っていたそうだ。とても賢く人の気持ちが分かるワンちゃんだったようだ。外出先ではどこに行っても皆に「可愛い、可愛い」と言われたそうだ。今回病院のちょっとした医療ミスで亡くしてしまったが、亡くなるまで目も白内障一つなく、歯も揃っていて病気もせずに元気でいたのにまだまだ長生きしてもらいたかったと、お母様と二人涙ぐんでおられる姿に私ももらい泣きしてしまった。こんなにも大切にそして、愛情たっぷりに育てていただき何とお礼を言ったら良いのか、そしてそれだけにどれほど口惜しかったのかと思うと・・かける言葉さえ見つからなかった。お墓にはどうしても入れられずまだ手元にあるが、人間の隣に埋葬できる霊園を考えているとのこと。お家の中は半年経った今でもまだRちゃんがいるのではないかと思えるほど生前と同じにしつらえてあるそうだ。Rちゃんのお部屋のサークルやおもちゃ、食器、そして玄関には何々と・・・。ひょいとその辺からRちゃんが出てくるのではないかと錯覚するのではないかと想像すると、ご家族皆さんどんなにか辛い日々を過ごしてこられたのだろうと察することができた。そう言う私も亡くなった子達の事が時折フラッシュバックする・・。 
「もうワンコは飼うまい」と思っていたが、どうしても寂しく、そして娘が「アマンダさんのワンちゃんだったら飼ってもいいよ」と言ってくれたのでやっとその気になったんです、とのお言葉。何と有難いことでしょう・・。
ヨークシャテリアの思い出 はRちゃん一人にしておきたいので今度はプードルにします、と仰ってレッドアプリの女の子を決められた。車の中でお母様が大事そうにプードルを抱っこして帰路に向かった様子が目に焼き付いている。飛び切りの幸せ行きの切符を手にしてプードルの女の子はお嫁入りした。亡きRちゃんの妹として。
どうぞこのご家族にも笑顔が戻ってきますように・・。立ち去ったお車の後を見つめて、そう願わずにはいられなかった。
 

プードル レッド成犬 |

6月21日(木)
<和すること>
台風一過、朝いちばんドキドキしながら庭の様子を見に行った。前日に大方フォローしておいたものの、バラや、小さい花の苗、野菜苗がどうなっているのだろうと思うと昨晩は心配で寝られなかった。バラの鉢で倒れているものは1個だけだったが、幸い根がしっかりしていたため大丈夫だったようだ。だが、色が紫だという珍しいミニトマトを春から植えてその成長ぶりを楽しみに見守っていたのに、トマトの枝があちこちポッキンと折れていた。フェンスに括り付けておいたはずなのだが暴風雨には逆らえなかったのか。中には黄色の花が咲いて直径2cm程の実をつけていた枝もあったのに・・・。下から折れていてはどうしようもない、仕方なく園芸ばさみでパチンと切り取った。「せっかくここまで大きくなったのに、ごめんね・・」まだ緑のひ よっこトマトの姿がなぜか愛おしく、また可哀相に思えてならなかった。
ふとスライドして犬舎のワンコ達のことが思い浮かんだ。無事成長して天寿を全うするワンコもいればこのミニトマトのように赤ちゃんの時に亡くなる子もいる。胎内では元気だった子が、お産がうまくいかず出た途端に亡くなる子もいる。動物が生存し続けられるその陰には、幼少期その擁護なしではとうてい生きられない母親の存在があることにも改めて気が付いた。
人間も然り、生まれたての頃にはおっぱいを、そして離乳食を母親に食べさせてもらって今日の自分がある。親に危険から守ってもらったからこそ死なずに今生きていられるのだ。介護で寝たきりになっている母の姿がふと心に浮かんだ。
生きとし生けるもの、いつ何時どうなるかわからない。今ある自分が奇跡と考えてもおかし くないほどの生存の確立に立って生きている。だとしたら・・・、もっと一日一刻を大事にしなくてはならないのではないだろうか。世の争いをやめて身近な人との関わりを大切に、人や動物、植物との愛で満ち溢れた毎日でありたい。また、純粋な魂を持ったワンコ達と日々触れ合う時、この子達に恥ずかしくない自分でありたいとしみじみ思う。
先日、6月が誕生日の主人と長男のお祝いを合わせて我が家で行った。長男夫婦と生後5か月のH(ちゃん)、そして長女とその子供2人で賑やかに楽しい時を過ごした(婿殿は出勤)。ちょうど今お産で見ていなければならないワンコがいないためリビングにサークルはなし。やんちゃ盛りの孫たちのために余計なものを方付けて広い空間を作ってあげた。主人と2人、大掃除はたいへんだったが、こんな行事でもなければお尻に火がつかない。案の定孫たちは風船投げをしたり、長男とプロレスごっこをしたりと、思う存分はしゃいで遊んだ。長男長女とも互いの子供を可愛がり遊んであげる姿は、言ってみれば当たり前の光景かもしれないが、両家族が互いに仲良く和する姿はやはり見ていてほほえましい。和する姿はいつの世も美しいものだ・・。 ふと、「自分の子を可愛いと思ったら他人の子を可愛いがること」という言葉が浮かんだ。長男、長女にはよそのお子さんと関わる時も是非この事を念頭に入れて実行に移してもらいたい。
子煩悩、孫煩悩な主人にとってこの日は何よりの誕生日プレゼントになった・・・。

プードルアプリコットの成犬 |
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