9月28日(土)
<感謝する心>
もともと私は物事を悲観的にしか受け止められなかった。うまくいった時は当たり前、と感謝することもなく、うまくいかなかった場合は「どうしてこうなったのだろう」「何で自分は何をやっても駄目なんだろうか」と悪い事ばかりを深く考えて暗い毎日を過ごしていた。
しかし、ある時から「これではいけない」と、一念発起し発想を変えることにした。そして物事を前向きに肯定感を持って受け止められるよう努力した。もし自分を変えようとしなかったなら今頃どうなっていたのかと思う。きっといろいろな人とトラブルを起こしては、周りや主人に愚痴を言って嫌な思いをさせていたと思う。
先日主人が携帯である人と話をしていた。話の内容からその相手がA氏だと言う事がわかった。第三者の事を言うのはさし控えたいが、アナログなA氏の事、たぶん我HPなど見てはいないだろう。
A氏は、奥さんと一切口をきかない家庭内離婚の状態だ。2人の息子からも疎まれ、連絡や交流もない様子。こんな不幸なA氏が唯一話を聞いてくれるのが中学、高校時代の同級生だった主人なのだ。あとで主人に聞くと今回もクレームの話だったようだ。家の前の道路工事の作業員が、彼曰く、態度が悪いので文句を言ってやったとの事。その話を聞いてくれという訳だ。A氏は今回のみならず近隣の住人ともうまくいっておらず、気に入らないと言っては隣の家に水をかけているよう。そんな状態なので友達もおらず、唯一話を聞いてくれる主人に電話をしてくるのだ。A氏の愚痴小言や怒りが延々と続いた・・。
彼は全く不幸な人だと思う。
しかし、ちょっと見方を変えて、全てを感謝の心で受け取っていったらきっと世の中が明るく楽しいものに見えてくるのではないだろうか。道路工事をしている作業員の方は暑い中、道路のアスファルトと気温の高さで上と下からの放射熱を浴びながら家族のためにと汗して働いておられる。私は工事の作業員の方や旗ふりをしている人たちの姿を見ると、思わず頭を下げずにはいられない。どこに不平不満が生じようか。素のままの自分であればA氏と似たような受け止め方しかできなかったのではと思うが。
最近ワンコを通した友達から「一緒にお茶しましょう!」と彼女の家に誘われて、楽しい時を過ごさせてもらった。また一昨日も別の友人から電話があり、よもやま話をした訳だったが、やはり「また会いたいね」「宮澤さんは良い人だから・・・」と言う言葉を聞かせて頂いた時、以前の自分ならそんな言葉を言っていただける私ではなかったと感謝に思わせて頂いた。
今、私はhappyだ。主人とは毎日平和に、お互いを尊重して生活している。また、子供たちとはそう度々会えるわけではないが、皆独立してそれぞれの家族を持ち、仲良く生活している。私はと言えば、友人を初めとしてワンコのお客様方とも和気あいあいと交流させて頂いている。もちろん100%の方が満足しているとは言えない現状も把握はしているが。
物事全て受け取り方一つではないだろうか。生きているうちには失敗や予想に反したことも起こるだろう。怒りをぶちまけたい日もあるだろう。しかし、一段下げて考えてみると感謝の気持ちが生まれないだろうか。例えば子供にしても「勉強はいまいちだ。でも毎日元気に学校に行っている」それが例え、学校に行けていなくとも、生きていてくれるだけで有難い、とは思えないだろうか。主人がああしてくれない、こうしてくれない・・・だが、健康で元気でいてくれるだけで感謝ではないか。
「命に別状なし」と思うと、全てが感謝に思えてくる・・。
|