アマンダおばさんの
♪♪Random Diary♪♪
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3月11日(日) 本日3月11日は七年前 東日本大震災が起こった日。 当地のみならず被災された方々には忘れられない日となりました。 私共にも国の内外を問わずたくさんの方々から、お見舞いやご心配のメールを戴きましたことが昨日のように思い出されます。 一日も早く復旧、回復を祈念してやみません。 <ひな祭り> 3月3日は嫁に用事があって孫のHを預かることになっていた。それでは、と仲良しの従妹の孫、Mと一緒に家でひな祭りのお祝いすることにした。 ひな祭りと言うからにはお雛様を飾らなくては、と実家に置いていた7段飾りのお雛様を久しぶりに持ってきて開けてみた。 このお雛様は娘が生まれた時、母から買ってもらった雛人形だった。40数年も前のもの。 一つ一つ箱から取り出してみると、お顔もそのまま、着物も古光りのした良い雰囲気になっている。そして、一つ一つの箱に書かれた重箱、牛車(ぎっしゃ)、神輿(みこし)、鏡台、香炉(こうろ)・・・等の母の達筆な筆跡を見た時、懐かしさに思わず胸がキューンとなったのだった。 母は旧家の生まれ、ひな祭りには広い屋敷にお宝ものの何代にもわたる古式ゆかしいお雛様を飾っていたそうだ。私も一度だけ母に連れられて里帰りした時に見たことがあるが、とても立派なものだった。自分の子供が生まれたらきっと同じように7段飾りの雛人形を飾りたいと思っていたはず。 子供は私も妹も女の子だったので、母は雛人形を飾って当然と思っていた事だろう。ところが近くに住んでいた姑から「雛人形何て必要ない。贅沢だ。」と言われ、断念せざるを得なかったのだ。母は仕方なく私達2人のため、布で作ったテルテル坊主に余りぎれの着物をかぶせた質素なお雛様を作ってくれた。こんなところからも口には出さずとも母の姑使いの苦労を垣間見た思いがした。 そうした時、娘である私に長女が授かった。初節句を迎えると言う日、おばあちゃんになった母は喜んで早速にデパートから雛かざりを買って贈ってくれた。よほど嬉しかったのだろう、一つ一つ丁寧に並べる母の顔はやっと雛人形が飾れる喜びでいっぱいだったのを今でも思い出す。 そして、私の子達4人の中で唯一の女の子だった長女の事を生前母はたいへん可愛がってくれた。度々泊まりに行っては母から料理を習うので、今でも長女は母譲りの料理上手になっている。 晩年母は、骨粗鬆症になり、入院や施設にお世話になり寝たきりの生活になった。3月3日が近づいたある時、主人と私はきっと母が喜ぶだろうと思い、お内裏様とお雛様の2体を施設に持って行って母の病床の横に飾ってあげた。すると母は、ベッドの横からお雛様を眺め、「きれいだね~。有難う」と言って喜んでくれた。 それから数か月後、母は亡くなり、今年は母の7回忌の法要に当たっている。 3月24日は母の誕生日。今頃になるとよく今年はどこのレストランでお祝いをしようかと段取りや予約をしたものだった。 3日の日は5歳と7歳の孫達と楽しく過ごした。桜餅や雛あられを食べ、フーセンでドッジボールをしたり、相撲ごっこをしたり、また近くの公園に行って遊具で遊んだ。 虫が大好きなHは一生懸命土を掘っていたが、突如ベンチに座っている私めがけて走ってきた。「おばあちゃん、いいものあげる。手を広げてご覧」と言うので「なーに?」と言って開けると「はい、プレゼント」と言ってくれたのが10匹ほどの団子虫とゾウリ虫だった。思わず「キャー」と言ってしまった訳だが、折角孫が持ってきてくれたのに振り払うのも悪いと思い、そっと地べたに虫たちを置いた。気持ち悪い、などと否定語を使ってはいけないと思い、「団子虫、丸くなって可愛いね」と言ってその場をやり過ごした。孫との良い思い出になった。 子は亡くなるまで親の姿をなぞっていくものである。 雛人形を通し、母から娘、そして孫につなげる1本の道筋がある事を思う時、少しでも良き心を子孫に残していきたいと思う。 <お知らせ> |
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