アマンダおばさんの
♪♪Random Diary♪♪
ランダム ダイアリー
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2月23日(木) <ワンコの選び方> 先日お譲りさせていただいたシルバーのマイクロティーカップの飼い主さんSさんより数日後お電話をいただいた。とても興奮した様子に「何かあったのかな」と思ったが、弾んだ声に心配も吹っ飛んだ。「この子(ディアちゃん)、こっち来てから一度もトイレ失敗したことないんですよ。しかもシートの真ん中におしっこ・ウンチをしてくれるんで漏らすことがないんです。先住犬(3頭位)達ともちゃんと仲良くなれ、大きい猫達にも尻尾振って仲良しさんになりました。主人もメロメロで、トイレに行くとうちは皆トイレまで付いて行くんですが、もうこの子も一緒になって付いて行って、出てくるまでトイレの外で待っているんです。この子の賢さにはびっくりしました。食事も完食してくれて本当に手がかかりません。行く先々で皆に「可愛い~」と褒められて嬉しいです。本当にいい子を有難うございました!」と言う内容であった。 何も手前味噌で自画自賛しているのではない。正直に再現しているつもりだ。 実はこの子、小さい時はちょっと首を振るのが気になって成長の様子を伺っていた。ところが首は振るものの他の子達と遊ばせても特に支障なくご飯もきちんと食べてくれる。獣医師に聞くと他でもこのような例があったようだ。「このフリフリが可愛いと言って飼っておられる飼い主さんもおりますよ」との事。それでは条件付き、ということでどなたか理解のある方にお譲りできればと思い、生後6か月過ぎにHPにアップしたのだった。すると、何日かしてある方から問い合わせがあった、「条件付き」と書いてありますが、どういうことでしょうか、と。内容を話すと、「そうですか、では、いいです(不要です)」との返答。信じてくれないんだな~と悲しくなったり、然もありなんかな~とも思っていると、翌日懐かしいお声でかのSさんからお電話があったのだ。 Sさんは1年前に当方よりレッドのティーカップオスをご用命いただいた方だった。お礼を言うのはこちらの方なのに譲渡した後もお住まいの特産品を送って下さるなどとても好意的な方だ。レッドのティーカップも大変気に入っていただいているようだ。本物のティーカップであること、近所のプーと比べて断トツの可愛さであることなどを心のままに伝えてくださった(有難うございます)。 「あのティーカップのシルバーの子、まだ受付中ですか?同じくらいの大きさのうちのNちゃんのお友達にと思い」とのお言葉。受付中であることとその子の様子を正直に伝えた。すると、Sさんは「では、実際に見に行きたいのですが」と、くったくなく話され、見学の予約を取ってくださった。当日、緊張すると時折フリフリをするがそれ以上にキュートなお顔と挙措動作にすっかりハートを射止められたようだ。「この子を是非譲っていただきたいのですが」ご主人様も納得の様子。ご自宅のあるN県までそのまま連れて帰られた。 頭のペコは塞がっているのだが、実を言うと首を振るので知能が遅れているのではないかと懸念していた。ところが、譲渡後の様子を時折電話で知らせてくださるSさんより、遅れているどころか大変頭の良い子であることが分かったのだった。そして首ふりも今ではめったに見られなくなったという。多少の事を気にすることなく、人の言うことを素直に受け取り、シルバーを家族の一員としてお迎えくださったSさんをつくづくと徳のある方だなあと思わせていただいた。 ブリーダーを始めた40年程前、私はシルバーのプードルに拘っていた。今でも有名で多数AMチャンピオンを持っておられたMさんに熱心に「こういう子はいませんか」と詳しい好みを言ってリクエストした。幾度かの電話のやり取りの後、Mさんはこう言われたのだった。「あまり小さい事に拘る人の所には結果的に良い犬は行かないんですよね」と。この言葉は今でも心の奥にずっしり留まっている。以来、他でワンコを求めたり、我が家で生まれた子でも70%であればこれで良し、と思うことにしているのだ。そうすると70%と思っていた子が成長するに従い予想に反して90%のワンコに変身昇華してくれるのだ。 こうでなければ、と詳細にこだわる人の所には一生そのようなワンコは手に入らないだろう。なぜなら世の中に完璧な犬などいないからだ。 よく「インスタグラムを見ました。シルバーのYちゃんやMちゃんのような子が好みです。そういう子はいませんか?」と言うお問い合わせを最近多くいただく。目が大きくてキュートな表情の子がいいと言われる。確かにYちゃんもMちゃんも成長した現在可愛い事は確かだ。けれどもYちゃんもMちゃんも両犬の幼児期の写真を見ていただければわかるように、子犬で譲渡させていただいた時には決して特別目が大きいわけではなかった。Yちゃんも譲渡時は普通の目だった。Mちゃんにおいては1,2年間は送って下さる画像を見ても特にキュートだとも思わなかった。返って目は小さいほうかなと思ったものだ。だが、飼い主様は当方を信じて「この子で」と連れて行ってくださったのである。それが譲渡後生活力が出てくるに従い、どんどん可愛くなっていったのだ。Mちゃんはインスタグラムでトップのほうにランクが上がったこともあったと聞いている。有名なトリミングショップや雑誌のモデルになったこともあるともご報告いただいた。 要するに子犬の今の時期の画像を見てYちゃんやMちゃんのようではない、と判断するのは当たらないということだ。飼い主様の手厚いお世話と愛情が、もともとあったその子の素質や父母の遺伝を開花させ、評価されるワンコに成長したのだと思う。
2月21日(火) <孫の授業参観> 先日長男の嫁より電話があった。5歳になる孫のHの幼稚園で授業参観があるので見に行ってもらえないでしょうか、という依頼の電話だった。 出来るだけ孫と関わる時間を設けてほしい、という私の希望を直受直行してくれている嫁である。これまでも自宅から勤務先の病院のちょうど途中にジジババの家があるため、孫たちが熱がある、胃腸炎になったと言っては私宅に預けて仕事に行く嫁だった。 その日は小雪交じりの寒い日。孫が通っている幼稚園に行くと、園児たちはすでに小雪が舞い散る園庭で遊んでいた。「孫はどこじゃ?」と見ると、ジャングルジムの中にいた。目と目が合うと「せい子ママ~」と言って走り寄り、ハグしてくれた孫。「せい子ママ、おしゃれしてきたんだね」と褒めてくれた(^.^)。様子を見ていると、熱心に他の子と遊ぶというより、マイペースで自分の好きな事をやっている孫に、以前長女が同じ年齢の時は「ホラ、みんなと遊んだら」と強要していた事を思い出した。「何も皆(みんな)と同じことをやらなくたっていいさ、これでいいのよ、自然体で。好きなことをやればそれよし」と孫をさながらの心で受け入れられるのも、年の功と経験のお蔭様かと思った。 小1時間園児たちの遊ぶ様子を見た後、教室での授業参観。皆(みんな)で今度クッキー作るという時に何が必要かを先生は園児一人一人に考えさせた。先生の、「買い物に行く時何を持っていくのかな?」という問いに、「カード!」と言う子供<現金じゃないんですね>。 あとは?と言う問いに孫は「袋!」と答えた<なるほど・・> 。 その後 椅子取りゲームをした。その時1つの椅子に2人同時に座ってしまった。「さて、どうするか」、先生は子供たちに考えさせた。すると、てっきりじゃんけんで決めるのかと思ったら、「変顔」をして皆に受けたほうが椅子をゲットと言うことになったのだった。 大人の考えを押し付けるのではなく、一つ一つ子供たちに考えさせる先生のやり方に拍手喝采だった。 嫁からは「お忙しいので授業参観だけでもいいですから」と言われていたが、「保護者の懇談会ではどんな話が出るのだろうか」と思い、興味深々、若いお母さんに交じって私も参加させてもらった。 ABCと8名ほどのグループに分かれ、先生を除いた保護者同志の分散会になった。 あるお母さんが口火をきる。「これじゃいけないと思いながらどうしても自分の親に育てられたように叱って育ててしまうんですよね。叱ると子供が委縮する、するとイライラしてまたまた叱ってしまう・・・この負のスパイラルから抜け出せないんです。どうしたらいいんでしょうかね。」と言うお母さん。誰も答えが出ないようなので、私、「4人育てた経験からしかわかりませんが、決め手は「褒め育て」することではないでしょうか」と言わせていただいた。「こうもしてくれない、これも出来ないと思う所から一段下げてみると何でも感謝に思えてきませんか。例えば、なかなか幼稚園に行く支度をしない子供にでも、朝ちゃんと起きてきたと思えば感謝に思えて褒められるでしょ?褒めると子供って善なる心が引き出されて次第に親の喜ぶことをしようと思う子になってくるんですよね。親の方も、子供の良い面を見て褒める生活をすると子育てが楽しくなりますよ。」 どうせこのばあちゃんの言うことなど真面目に聞く人もいないだろうと思いきや、予想に反して円を囲ったお母さん方の目は真剣で、うなずいている。 また別のお母さんが悩みを訴える。「朝ご飯を食べるかと思いきやテーブルに本を持ってきて見る子供に、今はそれをする時じゃないでしょと言うんですが、時間までに幼稚園に行くという順序立てが出来ないんですよね。」 私、「これって親の姿?」と思いつつそうも言えないので、「時には失敗をさせることも大切なんじゃないかしら。そうやって幼稚園に行けば遅刻するんだということを体験させれば、恥ずかしい思いをしたくないという思いから自分でちゃんとするようになりますよ」 ふとわが子の子育てを思い出した。ある本で、「子供は起こすもんじゃない。起こされて学校に行くような子はろくな人間にならない」と読み、一切4人の子達を起こさなかったことを思い出した。目覚まし時計でちゃんと起き支度をして学校に行く3人だったが、唯一長男だけは遅刻の常習犯だった。けれど社会人になった今、遅刻をするかと思えばその逆で、だれよりも早く集合時間の10分前には到着する長男だ。嫁からも「Kさんは院内で一番早くに出勤するのではないかと思います。かなり早い時間に出かけますよ」と言う証言。失敗を数多く経験した者ほどきちんとやる人間になるのではと思う事しきりだ。 「うちでは表を作ってこれとこれが出来たらゲームをしても良いというご褒美を与えているんですが、いいんですかね」と言うお母さん。 「大人でも厳しく辛い事ばかりではやっていけないですよね。楽しみも必要ですよ。お楽しみが励みになればそれでいいんじゃないですか。」と言うと、グループでたった一人いたお父さんがうなづきました。 かつて子供たちが中学高校の頃、ゲームと勉強をどう両立させるか、と言う時に主人に尋ねた。すると主人は4人を集め、「自分たちで相談してルールを決めてご覧」と言ってくれたのだ。結果子供たちは、2時間勉強したら30分ゲームをしても良いという規則を作ったのだった。規則は功を奏し、ゲームが楽しみで勉強をした経緯があった。もちろん自分たちで決めたルールなので破るわけにはいかなかったのは言うまでもない。 またまたあるお母さんが発言した。「うちは子供が2人います。リビングで宿題をしたらビデオを見てもいいということにしているんですが、姉と妹では宿題の量が違い、妹はすぐに終わってビデオを見れるのですが、姉がまだ終わっていないという時にどうしたらよいか迷ってしまうんです」と言う発言。私の方を見ているので何か言わなくちゃと思い、「長幼の序」と言うのがありますよね。その場合、お姉ちゃんの宿題が終わるまで妹さんにビデオを見るのを待たせるべきではないでしょうか。世の中には必ず目上目下があって、まず家庭の中で実行していく事なのではないですかね。一番偉いのはご主人さんで、子供も上の子が先で、次が下の子と言うように序列が必要なんです。社会に出てから目上目下の関係が家庭で体現できていない子が適応できなくて会社を辞めていったりするんですよね」 次男が職場で、部下が自分に向かい「ため口」をきくので、どう接したらよいか迷うんだと話していたことを思い出した。 園庭で遊んでいた時、他の子と遊ばず、お母さんのスカートをつかんで眺めているお子さんがいた。同じグループになったお母さんに、「偉かったですね~。子供が離れなくとも受け入れておられましたね」と言うと、「だって子供って健康で元気でいてくれるだけで恩の字、感謝だと思っていますから。」とのお言葉。本当にそうだなあと思った。生まれてきた時、「五体満足ですか?」と、だれもがひたすら子供の健康だけを願っていた子育ての出発点。あれこれ不足を思うこと等必要ない。子供の長所も短所もあるがままを丸ごと受け入れていく事だなあー、と思った時、帰り際、年中さんのお教室で私の顔を見て手を振っている孫のHがより一層可愛くいとおしく思えたのだった・・・。
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