アマンダおばさんの
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8月27日(木)

<命の尊さ>

 先日地産地消のフレンチレストラン主催のバーベキューパーティーが、野菜を提供している生産農家の敷地内で開かれた。そこで主人と、長女・長男家族と共に参加してきた。この暑いのにバーベキュー?とも思ったが、シェフが味付けした美味しい牛肉やラム肉そして無農薬の野菜料理、更に、ウニやマグロ等日頃そのレストランに収めている業者からの提供で食べ放題の豪華なパーティーになり、他の方達とも和気あいあいの楽しい一時を過ごさせていただいた。
 長男の嫁は今妊娠中で安静を要しているため欠席、そのため育メンをやっている長男が3歳の孫娘のHを連れての出席になった。日頃からこまめに子供の世話をする長男だが、その日も食事をしている孫の傍で「食べ物は残しちゃあいけないよ。全部食べなさい」とか、「食べ物で遊んではいけないよ」と教えていた。傍で聞いていた私は、長男が、人間は動物や植物の大切な命をいただいて生きているのだから決してその食物を無駄にしたり、食べ物で遊んではいけないのだという事を子供に教えているのだと思った。
 かつて長男を初め子供たちが小さかった頃、子供達に「お米一粒でもお百姓さんが一生懸命作ってくださった真心のお米なんだよ。出された食事は感謝して全部食べようね」と話した。すると、次男などはお茶碗に米粒がこびりついていると、茶碗にお湯を入れて食べていたものだった。そして、おかずやご飯など出されたもの全部を食べた後でなければデザートはなし、というルールを作った時、いつの間にか子供達は出された食事を完食するのが習慣になった。長男は「食事を完食する」という我が家の習慣を自分の子供にも教えているのだな、と思った時、良い習慣が次世代にも引き繋いでいることを嬉しく思った。お蔭様で孫は幼稚園のお弁当も残さず全部食べて帰って来るそうだ。
 命についても長男は教えていた。そのバーベキューパーティーの帰り道15分ほど歩いて帰ったが、道路に蝉が死んでいた。孫のHが「蝉さんどうしたの?」と聞くと、長男は「蝉さん、死んでしまったんだね。蝉は命が短いんだからミーンミーンと鳴いていても決して捕ってはいけないよ、可哀相だからね」と、言っていた。
 後日そのHが我が家に泊まりに来た時の事。羽蟻が1匹居間にいた。羽蟻については、私はあまり好ましく思っておらず、今年の梅雨にも壁の隙間から入ってきて難儀した。見つければティッシュで取ってトイレに流したり、ゴミ箱に捨てていた。ところが、孫は羽蟻を見つけると両方の掌をまるくしてその中に羽蟻を入れ、出口はどこかと聞くのだった。出口というので玄関に連れて行きドアを開けてあげると、閉じていた両掌をぱあっと広げて羽蟻を空中に放してあげたのだった。
 その時私は、父親である長男の言う事を思い出し、羽蟻を殺さずに自然の中に返してあげた孫の行動を嬉しく感じた。
 寝屋川(ねやがわ)市における2人の中学生の事件は、残念な結果に終わった。殺人を犯した側の罪は言うまでもないが、犯された側の両方の家庭にも問題がなかったとは言えないのではないだろうか。
 子育ては、米粒一つから動・植物、ひいては人間一人一人に至るまで、小さい時より生きとし生けるものの命の尊さを教えることから始めなければならない。
ワンコとの共生は命の尊さを身近に実感できるもっとも素晴らしいシチェーションであることは言うまでもない。



   
 お里帰りの石澤かれんちゃん

<お知らせ>
8月26日より秋のキャンペーンが始まりました。HPで日頃気になっているワンちゃんがおりましたら是非この機会にファミリーの一員としてご一考ください。http://www5f.biglobe.ne.jp/~amanda/sh_poo.html#uketsuke
前向きにご検討いただける場合は何点か最新画像をお送りすることも出来ます。お電話かメールでご連絡ください。TEL;022-245-8779 メールアドレス;amanda@dog.plala.or.jp  ※最後まで応答をお願い致します。


8月22日(土)

<墓参り>

 先日のお盆の日、主人と長女・孫達で先祖の墓参りに行って来た。生前お花が好きで、生け花をしていた母。市販の仏花を飾るだけでは申し訳ないと感じ、何もない寒い季節を除き、いつも折々に咲いているお花を庭から摘んで持って行っている。先日は白いアジサイのアナベル、そして濃いピンクの鹿の子百合、青いサルビア、赤紫のブッドレアを左右の花立てに飾った。傍にいた長女に「私が死んでも、お墓の花は仏花ではなく庭の花か普通のお花にしてね」と言うと「分かった」、と答えてくれた長女だった。
 孫たちがいつもの手慣れた様子でバケツの水をお墓にかけてきれいにすると、父の好きだった「ハイライト」の煙草とバナナ、そして甘いものが好きだった母のためにロールケーキをお墓に供えた。
 火をつけたお線香を手に墓前で拝んだが、「亡くなった霊に手を合わせるときは、お願いをするのではなく感謝するのですよ」と聞いたことを思い出した。お願いをすると亡くなった人が負担に感じるのだそうだ。「みんな健康で、元気に過ごしております。見守ってくれて有難う」と心の中で念じ、手を合わせた。
 「お供え物をその場で食べると祖先が喜ぶんだって」と言うと、孫は「ほんと?!」と言ってニコニコしながらバナナをほうばった。
 いつの日かいずれ目の前のお墓に入る予定の私、父母が生きていた頃には全く考えもしないことだったが、父が亡くなり、母がいない現在、順番で行けば次にお墓に入るのは主人か私。どちらが先かは分からないが、目の前のお墓が急に近しいものに思えてきた昨今である。
 子供の教育がうまくいったからと言って終わりではない。孫がどう成長したかでその人の一生がどうであったかが決まる。孫の全員が成人になるまで見届けられるかどうかは分からないが、少しなりとも子や孫に後ろ姿で示せる人間になりたいものだ。

   
 
 *お里帰りの姫花ちゃん(レッド ティーカッププードル)、ディンゴ君(シルバー ティーカッププードル)

<お知らせ>
 来る8月26日(水)夜より「秋のキャンペーン」が始まります。HPに表示のワンコをお値下げしてご提供させていただきます。この機会にファミリーの一員としてご検討いただければ幸いです。宜しくお願い申し上げます。


8月18日(火)

<シルバープードルのお泊り・里帰り>

 先日のお盆休みに今年6月にお譲りしたシルバー・プードルの男の子をお預かりした。ご旅行とのこと、仙台が途中にあたるので当方に寄ってくださったのだろう。お譲りした時は1歳3か月、もう成犬になっていたが、つい2か月前に当方より譲渡させていただいたばかりでとりわけ変貌した様子も見られなかった。サークルに入れると前に居たようにご飯は完食、無駄吠えも一切なくおりこうさんにしている。まるで以前の当方のワンコに立ち戻ったかのようだ。寂しがる様子が全く見られないので、果たしてこの子は可愛がっていただいているのだろうかと、ちょっと心配になった。
 当犬は他犬舎のオスとの交配で生まれた子なので、血としては貴重だった。1年以上も当方に置いて、残すべきか手放すべきか迷っていた。だが、交配に充てるオスは出来るだけティーカップ、という考えがあったのでようやく譲渡を決意したものだった。当方に居るよりは一般のご家庭で家族に一員として1対1で可愛がっていただける方がその子にとって幸せには違いないと、いう思いも拍車をかけた。
 手間がかからずあっという間にお迎えまでの3日が過ぎた。3日目の朝、「ピンポ~ン」とチャイムが鳴った。「いい子でしたよ~」と説明しようとする間もなく、小さいお子さんが満面の笑顔でプードル君を受け取って抱っこしてくれた。シルバー君もそれはそれは嬉しそうに尻尾フリフリ、女の子のお顔をぺろぺろと舐めまくった。そんな両者のご対面に思わずにっこりと微笑んでしまった、そしてホッと胸をなでおろしたのだった。
 たった2か月の間であってもたくさん愛情を注いでくださっていたのだなあと嬉しく思った。
 ブリーディングの究極の目的はワンコが家族に愛されて過ごすこと、そしてワンコによって人間誰もが持っている愛を引き出させていただく事。この2点だろう。
   
   
 アンジェラ(♀)


8月14日(金)

<手伝いの大切さ>

 「本縫いとは自分で生きていく力、そして、しつけはそれを与える力」家の手伝いがひいては周囲の人への思いやりにつながり、人と和して自分の足でしっかりと生きていくその源になるのだと思う。
 子供4人が家に居た頃、ある時主人が、「お母さんは仕事と家事でやることが一杯なんだから、みんな、自分の事は自分でやりなさい。そして、出来るだけお母さんを手伝うように」と4人を目の前にして言ってくれた。
 それ以前にも食事をした後の食器は自分で片づける、と言う事は全員習慣付いていたが、主人の一言でそれぞれが更に何をすべきか考えたようだ。
 その時長女は高校生だったが、以来自分の弁当は自分で作っていくようになった。そして、大学の時は家族6人分の夕食作りをしてくれたのだ。実験や友達との付き合いがある時を除いて4年間のほとんどを作ってくれた。「6人分作るのは大変でしょう」と言うと、「そんなことないよ。みんなが美味しい、と言ってくれると嬉しくて今度はどんなのを作ってやろうかなって、益々張り切っちゃうの」と言っていた。学校から帰宅後、てきぱきとやることによって手先が器用になり、大学での実験や解剖の時など、日頃の料理の要領でいつも手早く仕上げられ、教授より褒められたと喜んでいたことを思い出す。薬剤師となって病院に勤務することになった長女は、帰りが夜の7時過ぎになり、さすがに夕食を作ることは出来なくなったが、その分、食器洗いをしてくれた。長女は、「朝病院に出勤すると、みんなにコーヒーやお茶を入れて出すのだけれど、この人は薄いコーヒーが好き、この人は砂糖なし、この人は濃くて熱いお茶を、と一人一人日頃の様子や好みを観察して出すんだよ」と言っていた。家の中で手伝いをさせることによって、外でも人のために尽くし、人の気持ちを汲み取って行動のできる人間に成長させていただいたことが嬉しかった。
 次男は自主的に小学5年の時からお風呂の掃除と風呂焚きを自分の仕事としてやってくれた。中学、高校とし続け、予備校に通うようになると帰宅するのは夜8:30。その頃家族は夕飯を囲んで寛いでいる時間帯だった。次男もお腹がすいていたと思うのだが、すぐに食べようとはせず、帰宅すると真っ直ぐにお風呂に直行し、風呂の掃除をして水を張り、スイッチを押してから食事に加わっていたものだ。風呂焚きは受験の前の日もいつもと変わらず続け、大学入学後家から離れるまで風呂掃除と風呂焚きはずっと次男の担当だった。いずれの時もいやいややることはなく、鼻歌まじりに楽しそうにやっていたことを昨日の事のように思い出す。
 長男と三男は頼めばその都度重いものを運んだり、買い物をしてくれたりと手伝ってくれた。
 受験がまじかに迫っていたある晩の事、自分の部屋で勉強をしていた三男が休憩のため下におりてきた。その時主人が、「アイスが食べたいなー。買ってきてくれないか?」と三男に頼んだ。そこで私もと、「ついでにお母さんの分も買ってきて!」と言うと、二つ返事で「いいよ」と答えて早速買いに行ってくれた。ところがしばらくして帰って来ると、買ってきたのはアイスが2本だけだった。「あれ?ゆうきの分は?」と聞くと、「別に食べたくないからいい」と言うのだった。私はその時、自分も食べたいから買いに行った訳ではなく、親のためだけに、しかも受験勉強で最後の追い込みにかかっているときに用事を引き受けてくれた三男であったことに目を見張る思いをした。きっと父親が喜ぶならと、その1点でアイスを買いに馳せ参じてくれたんだなーと思い、父親を敬する心が育っていたことに感謝した。
 家族の一員であれば手伝いをするのは当たり前、家族の役に立っているという思いが自分への自信につながり、ひいては社会の中で人のために奉仕のできる人間へと育てさせていただける。
 現在4人のそれぞれが家庭の中で、また社会でお人様の役に立つ働きをさせていただいていることが感謝である。


8月10日(月)

<戦争について>

 先日何気なしに片づけものをしていると、箱の中から子供達が小さかった頃や学校の時の絵や作文が出てきた。
 長女は、小学生の時、念願だった子犬が我が家にやってきて、学校から帰るのが楽しみだったという作文。長男のは中学の時に上靴を写生したデッサン。次男の絵は家族6人でキャンプ旅行に行った時、キャンプファイヤーを囲んで皆(みな)が笑っている楽しそうな絵。そして三男は、6年生の時いたずらをして書かされた反省の始末書がそのまま残っていた。思わず手を止めてそれらの一つ一つに懐かしく見入ってしまった。
 が、その時ふと、もしこれが戦死した息子の親が、わが子の思い出の遺品として見た場合だったら、どんな思いなのだろうと想像した。
 8月6日、8月9日は広島、長崎に原爆が投下された日。そしてまもなく15日、70年目の終戦記念日がやってくる。
 20歳前後の若者が戦争に駆り出されたり、生きて帰ることのない特攻隊として敵地に乗り込んで行ったことを思う時、20年近くも子供を育てたあげくに、みすみす子の命を捧げなくてはならなかった母親の気持ちはいかばかりだったかと、思いを馳せるとき涙が溢れてならなかった。
 子どもの命を守るため、母親というものは、夜傍らで寝ているわが子に布団を剥いでいないかと気を配り、火や危険なものに近づかないようにと注意をし、熱があると言っては夜中でも病院に駆け込み、学校に入れば入ったで友達と仲良くやっているかと心砕き、常に栄養のある食べ物をと・・・最大限の愛情を持って育てていくものだ。
 そうやって大切に育てたわが子をわずか20歳前後の年で亡くしてしまわなければならなかった母親の気持ちを思う時、改めて戦争はそれによって子の命を奪われた父親の戦争であり、母親の戦争でもあったのだと思った。
 戦争は人を拒否し、人の悪を言う一人一人の心が火種となって起こる。
 自らが戦争の加担者になることのないよう、身近な主人や人と仲良くできる自分であるよう努力したい。


8月5日(水)

<嫁、姑>

 先日1泊で夫婦・子ども・孫で家族旅行をした次の日の朝の事、次男の嫁から電話があった。何か忘れ物でもしたのかなー、と思って聞くと、昨日の旅行の御礼の電話だと言う。「あら、そうなの?」と丁寧な応対に感動した訳だが、振り返って見れば次男の嫁は、いつも帰省した時など次の日は必ずお礼の電話をよこしていた。訪問したり、帰省した次の日に御礼をするというのは娘にも教えていなかったし、私自身もしてこなかった。後日何かのついでにお礼を言う事はあっても翌日というのは実行してこなかったなあと気づく。昔と違って手紙で御礼とまではいかないが、それでも電話でお礼を言ってくる嫁に、嫁の実家の両親の、特にお母さんの教育が偲ばれた。
 かつて、私は姑になることなど想像するのも恐ろしく、嫁との確執を経験することになるのかと思うと、嫌だなあと思ってきた。けれど、実際に3人の男の子が結婚し嫁が来た時に、良い所を見て敬していこうと決心した。嫁と言えども他家から預かった大事なお嬢さん。姑は、嫁に幸せな一生を過ごさせてあげる義務があるのだと思った。そして、姑だからと言って上から目線で見たり、ものを言ってはいけないのだとも思う。今の嫁さんは私などより優れたところがたくさんある。敬する心で見上げると、そう思った程度嫁さんの方も敬してくれるのだ。「自分以外は全員尊敬の対象」、姑は嫁より上だという意識を捨てることが大事と感じている。
 よく嫁いびりというのがあるが、それは夫婦仲がうまくいっていなかったり、さめきっている時に起こるのではないかと思う。特に男の子と母親は生まれながらに精神的な近親相姦状態になるのだと、ある本に書かれてあった。夫に失望していたり、仕事人間で愛情を傾けてくれない夫の場合、純粋に自分に心を向けてくれるのは息子だけである。それはまるで小さい恋人を持った気持ちなのだと。母子癒着が続くといつの間にか夫は2人の敵になってしまう。父親の悪口を言われ続けた息子は大きくなったとき母親と共謀して父親を殺害した事件が実際にあったが、それは小さい時から居ながらに夫不在の夫婦不和の家庭環境から起きるのだ。
 仲良し母息子の所に嫁が来た。すると姑となった母親は嫉妬で狂い、嫁いびりが始まるのだ。
 夫婦が仲良ければ、息子に嫁が来ても嫉妬など起こらない。「私には夫がいるからいいんだ」と思えるのだ。そう思えず孤独に陥る時、嫁いびりが始まるのだと思う。いわば嫁いびりの根本は、息子への嫉妬心から始まる場合もあるのだ。・・・と、いうのは私の持論なので合っていないかもしれないが・・・。
 いずれにしても改めて、夫婦が和していくことの大切さを思い、夫婦が仲が良いということは、子育てだけでなく、息子が結婚し、姑となった時にも必要とされる大切な事。子供の将来まで関係してくるのだ、という事をしみじみ思う。
 明日8月6日は原爆投下から70年。戦争は人が人と争う心から生まれる。身近な夫婦や子や孫たちが仲良く過ごす足元から努力していきたいものである。



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