アマンダおばさんの
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7月1日(月)

<フランス旅行記「その1」>

年中無休のワンコ業の骨休めに今年は10年ぶりにフランスを訪れた。今回で4度目の訪問になる。

 
 ロクロナンの途中の町の古い教会

きっかけは、購読をしている「MY GARDEN」で昨年紹介されていた「フランスで最も有名な美しい村」の一つ、「薔薇の村ジェルブロワ」の記事だった。薔薇に興味があるのと、中世、アンティーク・・・と古いものに異常な興奮を覚える(困った)性癖から資料集めに没頭することになった。フランスの美しい村を全踏破した某氏の本を購入し、ジェルブロワを含めて他に行けるところをチョイスした。すると、以前から一度訪れたいと名前のみ覚えていたロクロナンがその一つだという事が分かり、地図で調べてみるとロクロナンはフランス北部のブルターニュのはずれ、カンペールの近くにあることが分かった。カンペールまではTGV(高速列車)でパリから4時間20分とな。4時間以上も列車に乗るのは老体の身にはちとしんどい。ただでさえエールフランスで13時間くらい飛行機に乗っていくのだから・・。そこでパリに着いた次の日の朝、オルリーからドメスティックに乗って1時間のフライトで向かうことにした。他にも美しい村を予定し、大方のスケジュールが決まると、昨年9月まず各訪問地のホテルを予約した。少しでも早くに予約したほうが良いホテルや部屋が取れるからだ。いつものやり方で、1か所につき数件を押さえる、そしてまじかになって1つに絞る。

   
   
ロクロナンの村 






















団体旅行(グループ旅行)は依然としてあまり好まない。協調性がないのかもしれないが、理由はいくつかある。①共に食事や行動する中で過去に行ったところの自慢話を聞くのはつまらない。もちろんたった一人で開拓した旅行話には興味あるが。②お膳立てされた旅はある程度安心だが、旅の醍醐味は危険やハプニングがあるからわくわくするもの。③その土地の人に道を聞いたり、美味しい店を聞くことで自ずと現地の人とのコミュニケーションが生まれ、国民性やその国の人の温かみがわかる。④旅行は夫婦である場合、愛と和を確認するためのもの。互いに助け合ってきた人生の旅の一部なのだ。日本人の友達を作る場は日本でもできる。⑤大人である以上修学旅行は卒業したい。
というわけで、今回も旅券、ホテル、チケット全て自分たちで手配した。(「その2」に続く・・)

   
   
   
   
ロクロナンの村 



 
 長女の娘Mとアリッサ


 
7月2日(火

<フランス旅行記「その2」>

 前後するが、CDG(シャルルドゴール空港)に着いた日の夕方、初日はシャトルバスで1時間ほどのオルリー空港近くのホテルにチェックインした。素泊まりなので豪華でなくともOK。但し、ブッキングコムの評判だけはチェックしておいた。予想通りスタッフはまずまずの応対。
 何より良いのは改装したばかりで真新しく清潔だったこと。そして、予想外だったのは、受付嬢に紹介してもらった隣のレストランがシーフードレストランでは有名な店のようで、行ったときには既に待ち人の行列が出来ていた。そしてあと5分ですよ、等と言われて30分も並んだ頃には後ろにも長蛇の列。きっと旅行者のみならず近郊からも訪れているに違いない。一体どんなレストランなのだろうと興味深く見ていると、通された席に座るや否やすぐにオーダーを取りに来て比較的早くに注文のメニューが運ばれてきた。スタッフは皆小気味よいほどきびきびと働いている。応対も大変感じが良く親切だ。殻つき生牡蠣、魚介のリゾット、ポワソンスープ、何とか言う魚料理とロブスター、シーフードサラダ 量の多いのは覚悟していたが、魚の大きさが半端ではない。日本では3人前と言ったところだろうか。目の前でうまい具合に骨を取ってくれた。食すると、皮の焦げといいハーブに付け込んだ魚の味といい、思わず唸る程たいへんdeliciousなのでした。以前バルビゾンの高級レストラン「バーブレオ」で食べた魚料理の何倍も美味しかった!やはり何年か前ベルサイユ宮殿前のレストラン「シャポグリ」で注文したポアソンスープの味が忘れられなかったが、ここのスープは正に同じ味だった。量が多く食べきれないのでテイクアウト出来るかと尋ねると、快諾した上きちんとした立派なパッケージに入れてくれた。翌朝はこの残り物でリッチな朝食を頂いたことは言うまでもない。
 
 Rのつかない月でもOKのフランスの生牡蠣


 さすが美食の国フランスに来たかいがあったな~と、幸先の良いスタートに主人と共に喜んだのだが、その後はそうでもなかったことから、あのホテルに泊まったことがたいそうラッキーだったのだと後になってわかったのだった。












7月4日(木)

<フランス旅行記「その3」>

カンペールからはレンタカーでロクロナンヘ。カンペールのAVISではカーナビが借りられないとわかり少々難儀したが、なんとか尋ね尋ね目的地に着くことが出来た。あまりはでなショップがなく地味な印象だったが、たぶん自分の農場で作ったものだろう、おばさんがカートに乗せて売りに来たチーズを買って食べた。また、ここがもともと刃物で有名だったのかどうかわからないが専門のお店があって手作りのソムリエナイフを子供たちのお土産と自宅用に5本買った。おじさんが丁寧に作る工程を説明してくれ、また1本1本故障がないか確認してくれた。フランス人は自己中心的でそっけないとばかり思っていたが、時代が変わったのかあるいは地方は都会と違って親切な人が多いためなのか大分印象が違ってきた。

 
よく見うけられたセオノサス。青の色が素敵。

そう言えば、CDG空港の入国審査の折の事、皆がすっとパスするのに、私だけがなぜか呼び止められた。「Where are you from?」(何?赤いパスポートを見ればわかるだろうに・・、だがここは素直に)「From Japan.」「Where are you heading?」「For Quimper.」「All right. Then how long are staying?」「For about ten days.」問われるままに答えた。 すると、中年の担当者はやおら一指し指を出して私を小さな受付口まで引き寄せた。そしてこともあろうに、小さい声でこう囁いたのだった。「I love you・・・.」  何という事を! この中(老)年のおば(あ)さんに? 思わず、「No,kidding!」「Are you joking?」と言って大笑いしてしまった。恐らく他の人も見ている中でその場の緊張をほぐそうと企んだからに違いないが、思いもかけない粋な計らいに、この国を訪れた嬉しさがほとばしるのを感じ、しばらく余韻が消えなかった。過去の経験からフランスというだけで何か構えていた自分だったのに・・。

   
シャトー ホテル












2泊目はブルターニュの沿岸、大西洋を目の前にしたドゥアルヌネのシャトーホテルに宿泊した。部屋は普通だったが、朝食を取ったダイニングルームは前の所有者の貴族の館らしい風情でしばし優雅なひと時を過ごすことが出来た。窓から眺める広いお庭も印象的だった。


7月5日(金)

<フランス旅行記「その4」> 

リモワの大きいスーツケースを携えての旅はレンタカーがベストだ。翌朝ドアルヌネを発つと、レンタカーで次の目的地カンカルに向かった。なぜにカンカルかというと、以前テレビで濱田マリさんのナビゲーションでこの「カンカル」が紹介されていたからだ。ブルターニュの海を眺めながら海岸で殻つきの牡蠣を食べたい一心で、行きつ戻りつ、当てにならないタブレットのナビを頼りにやっとこさカンカルにたどり着いた。やはりテレビに映っていた牡蠣小屋でプレートに乗った牡蠣を買い、やはりテレビと同じに岸壁に座ると、おもむろにレモンを絞り一気に飲み込んだ。果てしなく続く大西洋を眺めながら、口いっぱいに広がった海水とレモンの酸っぱさとともに生牡蠣を一気に飲み込む豪快さは経験した者でなければ味わえない。食べた後の殻は1個毎思いっきり海に投げ捨てた。あーあ、気持ち良かったな~。6月は牡蠣が食べられるのだろうか半信半疑だったのだが、日本とは種類が違うのか全然OKで、いい思い出になった。
 牡蠣だけではもの足りないので近くのシーフードレストランで昼食をとることにした。通る人を眺めると日本人は一人もいない。それどころか韓国人やあの賑やかな中国人の団体さん等東洋系の観光客は全く見られなかった。そう言えば、カンペールに来て以来たった一人の東洋人にさえ会わなかったな~。まだ観光地化していない穴場なのだろうか。
 海岸をのんびりと歩いている欧米の観光客を眺めながらふと見ると、クレープを焼いているスタッフが作りながらリズムを取っている。それを見ていた私も楽しくなって体を動かしリズムを取ると、気が付いたスタッフが何とクレープを作りながらダンスをし始めたのだった。その様子に思わず笑ってしまった。
土地柄もあるのかもしれないが、本当に気さくで親切な人が多い。道を聞けば誰しもが丁寧に教えてくれる。フランス人であろうと何人であろうと皆、心根は善人なのだと実感した。


7月9日(火)

<フランス旅行記「その5」>

 カンカルから一路モンサンミッシェルに。宿泊は島内のホテルにて。観光客がまばらな夕方、そして朝に島内を散策するのはリラックスできてよかった。黙っていても客が来るせいか値段の割にレストランの味はいまいち、前評判の通りだった。唯一美味しかったのはカシスのアイスクリーム位。
 翌朝次の目的地 美しい村の一つブーブロンアンオージュへ。途中の道路際には一様に野生のオルレアとジギタリスが群生している。フランスは道端の何気ない花にも色彩を考えて種を撒き、道行く人々を感動させるのだ。オルレアの白とジギタリスのバーガンディー色がどこどこまでも続きコントラストを描いていた。
 旅行会社が企画するモンサンミッシェルへのツアーのコースにブーブロンアンオージュが入っているのだろう、あちこちで日本人が散策していた。すると、路駐した目の前のお店のウィンドウごしに素敵な帽子が目に入った。村を見るのももどかしく引き込まれるようにこの可愛いお店に入って行った。すると、日本の帽子屋さんではあまり見受けられない1930年代から60年代のヴィンテージの帽子やコサージュ等を扱う店だという事が分かった。無我夢中で次々試着させてもらった。だが、なかなかこの顔に似合う帽子が見当たらない。帽子が素敵過ぎて、顔がついて行けないのだ((^_^;))。やっと何とかなりそうだったものが写真の帽子。中にはカチュウシャがついているので、いかような方向にもかぶれますよとのこと。何でもないデザインだが顔を隠せる位に縦斜めにもかぶれるところがパリ風で気に入っている。値段も思ったほど高くない。
 お店のオーナーさん自身が1030年代のマダム風情を醸し出している素敵なお店でこの帽子をゲットし、ブーブロンアンオージュの町に繰り出した(続く)。
   
   
   
   
   
   


7月29日(月)

<フランス旅行記「その6」>

ブーブロンアンオージュは小さい村なのでほんの5分も歩けば行き止まりになる。雑貨などの可愛いお店があったがワインショップで名物のシードル(リンゴ酒)とハニーケーキを買った。ハニーケーキは結構長持ちして旅の終わりまで甘系の足しになった。
ブーブロンアンオージュを後にしこの度の目的地ジェルブロワに向かった。
   
   
   
   

モンサンミッシェルのホテルで充電の設備がなかったためタブレットで道案内不可、という最悪の事態。しかもワンコの世話で手いっぱいの中、前日徹夜で旅行の準備をしたため、ジェルブロアのセシールさんの電話番号を控えてくるのを忘れてきてしまった(^_^;)
よほどの田舎なのか、行けども行けども「フランスで最も美しい村」の一つであるジェルブロワにはたどり着けない。道行く人何人に聞いたことか。持っているスマホでわざわざ調べてくれる人も何人かいた。近隣の村で立ち寄ったたった1軒のピザ屋さんでは英語のできる店長さんらしい人がとても親切にそして陽気に道を教えてくれた。混んでいて忙しそうなのに嫌な顔一つせずに懇切丁寧に道案内をしてくれる。何て暖かいんだろう!
夏時間で日が落ちるのが遅い。夜の8時、9時でもまだまだ明るい。ひなげしの赤がまばゆいばかりに両側の土手を彩っている。印象派の絵画、モネの「アルジャントイユのひなげし」を彷彿とさせる。ひなげしの土手はまるでジェルブロワへの道をいざなっているかのように、どこまでもどこまでも続いていた。夜の10時を回った頃だろうやっと日が落ち始めそれらしい村にたどり着いた。が、暗いためどのあたりが予約を入れていたB&Bのセシールさんのホテルなのかわからない。
こんな時間、お店もない中、ひとしきり心細さでいっぱいになった。誰に聞いたら良いのだろう・・。するとあるお屋敷の窓越しに素敵なシャンデリアのリビングが見えた。すると、まだ起きている人がいる。ご迷惑とは知りつつ藁にもすがる思いで思い切ってチャイムを押した。セシールさんのホテルを教えてほしいとインターフォンで伝えると、何という事でしょう、その家の住人である紳士はインターフォンで応答することなくわざわざ門の外まで出て来てくれたのでした。どこのだれかわからない怪しい外国人(私達)の声に「夜遅いので教えられません」と言われても当然だし、よくてインターフォン越しに教えてくれるくらいではないかと思うのに、「ついて来て」、とご自分の車で案内してくれたのだった!狭い村の事、セシールさんとは友達のようだった。御礼を言おうとするとさりげなく「オールボワー」と去っていくところがいかにもかっこいい❤。こうして人に親切にすることが日頃から当たり前に身に着いた人なんだろうと想像できた。
感激と共にやっと会う事の出来たセシールさんに遅くなったお詫びと経緯を話し、その日は眠りについたzzz・・。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

 
7月31日(水)

<フランス旅行記「その7」(最終編)>

ジェルブロアのセシールさんとは薔薇の話題より主にインテリアについて話が弾んだ。お部屋を見せていただくと私の趣味とは違う事に気が付いた。セシールさんはフランス人だがインテリアはイギリス・コロニアル風が好みだという。
私は、というとイギリスアールデコ、フランスアールヌーボー、フレンチシャービック、そしてイタリア風が混在したインテリアだと、半ば自嘲的に話すと、「それは問題ないわ。好きにアレンジしていいのよ。」と優しく答えてくれた。
特別に、と言って今改装中のお部屋を見せてくれた(セシールさんが映っている上記写真参照)。天井のペンキ塗りから鎧戸まで全て御主人との手作りの共同作品だそうだ。この色でこういう風にと指図するだけで、全て職人さんに頼む私とは手間のかかり方が違う。まあ、ワンコの世話がなければ私もやるかもしれないが。
翌朝スコットランドから泊まりに来ていた同年代のご夫妻と朝食を同席し、会話が弾んだ。セシールさんも仲間に入ってよもやま話に花が咲いたが、相変わらず中国人の評判の悪さはこの小さな村にまで及んでいるようだ。一方ブリティッシュと日本人は誠実、真面目、礼儀正しいという点でとても似ているという結論に至った。そう言われて過去に我が家を訪れたイギリスの人々の共通点を思い出して「なるほど」と納得した。いずれにしても日本人を好意的に見てくださっていることが嬉しかった。
パリの冷たい気風に耐え切れずこのジェルブロワに住み着いたというセシールさん。然り、と思うほどにやさしく親切な、一児の素敵なお母さんだった。
こういう村には決して団体で訪れてはもらいたくない。ご夫婦か一人旅でひっそりと静かに訪ねて行くべきではないかと思った。
   
   
   
   
   
   
   
   

昼過ぎ一路パリに向かってレンタカーを走らせた。レンタカーを返しに途中ベルサイユに立ち寄ると、以前訪れたのと同じく観光客で溢れかえっていた。Abisのスタッフはとても親切だった。改めてフランス人とひとくくりにできないことを実感した。地方都市は結構皆温かい。
パリでは、モンパルナス付近にホテルを予約していた。過去サンジェルマン、オペラ座近く、モンマルトルと滞在の拠点にしたが、モンパルナスの次の地下鉄駅から5分という便利なこのホテルは、CDG空港までの列車駅もすぐ目の前。気取らない街で私的には合っている。受付嬢はいかにもパリジェンヌ風のあか抜けたお嬢さんでbooking comの評判通りパリにしては感じが良く、あれこれ教えてくれて親切だった。
お部屋は滞在型に相応しくジュニアスイートの広い部屋、インテリアが素敵で設備もジェットバスつきでgood、ほぼ満足だった。
また、広い南窓の向かいが公園になっていて緑が生い茂っている。窓いっぱいの緑のためと10階のため、裸で部屋をたむろしても誰に見られることもなく開放的だった。ホテルを出るとすぐ近くにマルシェがあって、フランスの家庭料理のテイクアウトができる。カフェで食べるのもいいが、ホテルの部屋のソファーに座り、外の景色を眺めながらアーチチョークのサラダや魚介類のカルパッチョ、チーズ他何というかわからないテイクアウトをリラックスして食べるのがこの上なくgoodなのでした。
日中は主にパサージュめぐりとインテリア関係のショッピング、アンティーク求めて蚤の市に繰り出した。
パサージュの中でもパサージュ・デュフロアには好みのコントワール デュ ファミーユのお店が入っている。我が家でも既に何点か取り入れてあるが、1930年代の風情が素敵な雰囲気を醸し出している。
蚤の市は他にもあるが、私的にあまりガラクタ風情の物は×である。出来れば本格的なアンティークが欲しい。するとどうしてもクリニャンクールの蚤の市に足を向けざるを得なくなる。クリニャンクールはこれで3度目だ。1930年代のジョーロ、銀のスプーン・フォークセット、燭台、水差し、アンティークレースのベッドカバー、アンティークドール(デュモー)、アンティークのベビードレス他これまでもいろいろと買った。
今回はアンティークのタッセル、額絵、オブジェなどをゲット。だが、何と言っても一番のヒットは1892年とサインの入ったテラコッタ製の額絵だ。121年前の作品だというのだからまさしく本物のアンティークということになる。ちなみにアンティークは、正しくは100年以上前のものを言う。ショップのオーナーが自分の好みであちこちから集めてくるという。一押しですよと言われ、一回りしてから考え購入することにした。かなりの重さに往生したが、船便ではなく何とか頑張って手荷物で日本まで持って行くことにした。
   
   
 
クリニャンクールに行くと必ず寄って行くシャンソン カフェ。今回も立ち寄った。すると1階は大変な混雑だったので2階席の一番良い所に席を陣取った。いつものシャンソン歌手のおばさんは健在だった。幾分白髪がふえたようだが、歌い振りは変わらない。もう2人いて懐かしいフランスのシャンソンのメドレーを聞かせてくれた。コンサートホールで聞くよりこうした場で聞くシャンソンの方が数倍も心地よい。
   

古き良きフランスのエスプリを満喫し10日余りの短いフランス滞在に別れを告げた。

今回の旅行を通しフランスの人々の琴線に触れ、笑顔や会話がどれだけ互いの理解につながるか、そして心の触れ合いがひいては世界平和につながることかを実感した。




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