アマンダおばさんの
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Random Diary♪♪
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2007年7月
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7月15日(日)

<ワンコ同士の友情>

 大型台風が各地を直撃。皆様のところでは被害はありませんでしたか?沖縄や九州に子犬をお譲りさせていただいたあの方々、四国のあの方のお宅は大丈夫だったんだろうかと密かに案じております。
南から上がってきた台風、報道で毎日のようにたぐい稀な惨状を見聞きしていたものの、いざ当地にやってくるとその凄まじさに改めてなるほどと納得し大急ぎで庭に飛び出した私でした。
 張り切って育てたイタリアントマト;もう直赤くなって食べられると楽しみにしていた、の枝の一部がポキンと折れる、蕾が膨らんだが花開くまでは今一早いカーサブランカも大きくしなって危うく折れそうになってしまった、が慌てて補強した。茄子やしし唐辛子は急いで家の中に入れた。プランターでよかった・・・。全身ずぶぬれになりながらつくづく大自然の脅威を感じさせられ、同時に人間の力の小ささを思い知った。
幸い犬舎は、雨嵐といえども至って平和でいつもと変わりない。普段通りのルーティーンが繰り返された。

 犬舎では他のワンコ同様育児中のお母さんの運動タイムがある。1日4時間ほどだが、サークルの中で懸命に哺乳したり下の世話をしているお母さん犬にとってしばし育児から開放されリラックスできる癒しの時間になる。その時間帯は同時に生後3週間を過ぎた子犬たちの離乳食訓練タイムになる。
 シリンジでヨーグルトをお口に入れてあげるところからスタート。初めて口に異物?を投入された子犬は「何だこりゃ?」という顔でびっくり仰天する。「フーフー」と鼻息を荒めて全身で抵抗するレジスタンス派、何だか知らないけど飲み込んでおこうという素直な穏健派、「甘くておいしいぞ」とお変わりをおねだりするいけいけ好奇心派。生まれて犬業をはじめまだ日が浅いというのにもう個性が出ているのだ。日齢が進むとフードのふやかしに缶詰で味付け、ミルクをあえる離乳食に移る。初めは自分で食べさせてみる。積極的に食べる子がいる一方で食にあまり興味なく遊んでもらいたい子達、小さい子達には捕食をしなければならない。特に極小の子には犬舎オリジナルの特別離乳食が与えられる。ナーサリーのドアーを開けたとたん一斉にラブコールが響くが、食事をしている間の数分間は一時の静寂が訪れる。人間も犬の子も同じだ。やがて排便をするがどの子もかりんとう状のころころ便だ、ティッシュで取っても跡が残らない。便に裏付けされたように満腹したあとは元気一杯腹ごなしの運動が始まる。各サークルには1腹の同胎犬が数頭ずつ入っている。兄弟同士がじゃれあうのだ。中には一人っ子もいるがその場合はリボンを付け他のサークルの同じくらいの日令の子と遊ばせる。一人っ子は親がいなくなるととたんに不安になり泣く子も出てくる。だが、他の子と一緒にするとすぐさま安心して嬉しそうに遊び始めるのだ。狙いを定め、弾みをつけて襲い掛かる子、一見いじめられているように見える子も負けてはいない、「ウィーウィー」と歯をむき出して抵抗する。お互いの噛み合いから痛さの程合いを学習する。子犬たちの遊びを見ていて飽きることはない、ついつい時間を忘れて見入ってしまう。つくづく犬は群れを好む動物なのだなあーと思う。
 唯一犬舎ではなく、身近に置いていたチワワのキャビアは長年一人っ子だった・・・ゆえに長男所有のダックス花子が訪ねてきても知らん顔、長男の嫁さんのジャックラッセルテリアの「りくちゃん」を数日預かった時も不協和音で意固地な彼女だった。が、プードルティーカップのハイジと暮らすようになってから人柄(犬柄)が変ってきた。初めは前記の子達と同じ態度だったが、何日か一緒にいるうちにどうもキャビアの中の群れの本能がむくむくともたげてきたのか、一緒に遊ぶことが楽しくなってきたようだ。日中は私が仕事(ワンコの世話)をしていることもあり別々のケージで寝ている彼女らも、主人が帰ってくると一気に遊び始める。ソファを上がったり降りたり追いかけっこをする。部屋から部屋へと常に一緒に行動する。ハイジがソファーで寝ていると遊ぼうよ!とキャビアがすっかける(注;仙台弁=誘いかける)。キャビアの性格も一人の時より大分明るくなったような気がする。夜寝る時は我等夫婦と川の字(いえ2人+2頭なので川+1の字)に寝るが、マットを敷き始めると就寝前のレスリングが始まる。見ていて面白い。
ハイジをトリミングに出す日など帰るまで半日近くかかる。するとキャビアはいかにもさびしそうだ。一人ぽつんとため息をついている。ハイジがトリミングから帰ると喜び勇んで玄関まで出迎える。いつの間に友情?が芽生えていたのだろうと微笑ましくなる。
人間でも同じだ、ひとりぽっちはやはり侘しいしつまらない。ワンコにも人間とのふれあいの他に、状況が許すならば同居犬との触れ合い(=友情)も味わわせてあげたいものだ。



7月28日(土)

<古きを温めて・・・>


 すでに梅雨が明けた地域があるかもしれない。ここ仙台も目の前にせまっている。長雨でみすぼらしい姿になった花もあるが、入れ替わりにブッドレアやくちなしの白、夾竹桃の赤桃色が庭を彩りつつある。亡き父の好きだったカーサブランカも例年のごとく長い間蕾を膨らませていたが今朝ほど1輪優雅な大輪をほころばせた。あと2,3日もすれば何本か父の墓前に供えられるだろう。
 ナーサリーは今年温度の下がらない除湿機能を備えたエアコンに取り替えたお陰か、冷えすぎずしかもさわやかで部屋外のじっとりした空気とは大違いに心地よい。犬舎はすでにエアコンがフル回転だが、去年までは風邪を懸念して生まれたばかりの子犬もいるナーサリーにはエアコンのスイッチが入れられなかった。だが今年は温度26度、湿度45〜50%の快適空間になっていて皆健康だ。もっともサークルの下には念のため生まれて数週間の子のためにユカペットは入れているが。生まれたばかりの子犬は体温調節が出来ないため、どんなに暑かろうがヒーターを入れてあげている。当地は夏でも朝晩冷えることがあるからだ。
 ダイニングは子犬の撮影所にもなっているが、10数年ぶりにリフォームをしている。壁とカーテンを取り替えるだけだが壁を白の壁紙からマンダリンイエローの塗り壁にしただけで雰囲気がちょっと変った。合わせるカーテンを何にしようかと考え中だ。コーディネーターがモーリス、ローラアシュレー、サンダーソン、他フランスの生地見本を持って来てくれたがいろいろ見るとよけいに迷って混乱してしまう。が、最初にこれ、と思ったあれにしようとほぼ決めている(意味不明)。
 我が家もそろそろ築30年になる。普通なら建て直し=新築すべき頃なのかもしれない。だが新築する気は全くない。古いものを直し直しする生活が好きなのだ。アンティークを好むのもそのためだ。もともとのオリジナルの家は長女3歳、長男がまだはいはいしているころに建てた。それにあちこちを継ぎ足して現在に至っている。いわば各所に長年子供たちと過ごした思い出が一杯詰まっている家なのだ。かつて16畳のリビングには滑り台や跳び箱があって隅にはブロックやおもちゃの入った箱があった。ここで主人はよく4人の子供たちを相手にプロレスごっこをして遊んでくれたものだった。最近、小さいときに親子のスキンシップを十分して育った子は思春期に切れない、ということでプロレスごっこの効用を取り上げていた記事があったが、そんなことは全くわからずに夕食後や休みの日などにしょっちゅうやっていた。が、なるほど我が家の子達は思春期、暴力まで至る切れ方はしなかった。   トイレやバス、洗面所は6人家族だというのに1階に1つしかない。ために出勤前、登校前は大混乱だった。「ごはんだよー」と階段の下から叫ぶと各部屋からばたばたとダイニングに集まってきては全員揃って夕食をしたあの頃・・・。全く設計の違う新しい家に住んだならどうやって楽しかったあのなつかしい日々のことを思い出すことができようか・・・。
 今使用している私用の車も中古だ。ハッチバックタイプのおんぼろだがかなり調子がよくこれも気に入っている。ワンコ達を検診やワクチンその他に動物病院に連れて行くときや、花の苗を大量に仕入れる時もバックの広いスペースは便利で大助かりだ。スーパーで隣り合わせの車に開閉時ドアを接触されても気にならない、自宅の駐車場の上にツバメが巣を作って車に糞を落としてもDon’t mindだ。 ある時は運転中急に方向転換した私に怒ってダンプのおっちゃんからボンネットめがけて何か固い「ブツ」を投げられたこともあったが、これまたほとんど気にならない。これが新車だったらどうだろうか、外車だったらどうだろう、きっと怒りまくるに違いない。車を降りて傷がないか点検しようってなもんだ。
 









<我が家の菜園、今日の収穫;きゅうり、イタリアントマト、ブラックベリー、ナスタチューム、コモンマロウ>


 という我が家もほんの数年前まで主人の車は「外車」だった。BMWから始まって ベンツ→ベンツと新車に乗り換えた。かくして我が家のメインカーは10数年間「がいしゃ」だった。だが大きすぎる車は使いでが悪い。左ハンドルは主人が飲んだとき私の代行運転がちと難しい、仙台では3ナンバーを止められない駐車場もあって不便だ・・・など特に外車を持つ必要もなくなった現在主人の車もアリストを経て国産の中古車に買い替えた(何という変身!?)。
 大分前だが、家族でハワイに行った折、乗ったタクシー(今思うと怪しげなタクシーだが)のおんぼろさには驚いた。なにしろドアーがしっかりと閉まらないのだ。走る道中パフパフ言っている。いつ6人が放り出されてもおかしくない。シートのクッションはところどころ穴が開いていて中からスポンジがはみ出している。ボディーもあちこちぼこぼこ状態だった。こんなんで無事目的地まで着くのだろうか、辺鄙なところにでも連れて行かれるのではないかと心配するほどだった。だが意に反して運転手さんは超明るく能天気でくったくない。思わず笑ってしまった。そしてこんなおんぼろ車でも誇りを持って大事にしているおじさんのポリシーに深く感銘を受けたのだ。古いものを大切にする感覚はおじさんからも影響を受けた。
 また、15年ほど前もイギリス コッツウオルズ のプチホテル(ファームハウス)に泊まったことがある。アンティーク店のオーナーでもある女主人がお母さんと一緒に古い農家を改造して可愛いホテルを経営していた。一部屋ごと内装が違っていて、全てベッドやイス、ドレッサー、壁の飾りなどアールデコやヴィクトリア時代の趣味の良いアンティークで占められていた。前納屋だったところもダイニングに作り直していたが、土間がでこぼこブリック敷きでつまずいたがこれが何かいい。壁掛け、レース、小物、椅子、ベッドまでホテル内にあるものは全てアンティークだったが、どんなものでも頼めば売ってくれた。元はと言えばかなり古い建物だっただろうに蘇るように作り直したあの女主人のセンスの良さ、そして古いものを大切にする心は今思い出しても納得がいくのである。
 レンタカーを借り地図を片手に気軽にコッツウオルズを旅していた主人と私は、黄昏時道に迷いふと辺りを見回すと何かおとぎ話で見た小人の家のような家並みに遭遇した。「ここはどこだろう・・・」人っ子一人いないその通りを狐につままれたようにぽかんとしてふと見るとだれも居ないように見えた家々の窓には明かりが灯っていた。人が住んでいるのだ! 近くにはパブがありドアーを開けると1日の仕事を終えた人々が楽しそうに団欒していた。ここはどこかと場所を聞くと、「カースルクーム(クームは谷という古英語だそうだ)」という答えが返ってきた。カースルクームが、中世がそのまま残っていることで有名な観光地になっていたことを知ったのは後になってからだが、ガイドさんに案内されていくのではない、観光客一人としていない、偶然見つけた夢のようなイギリスのいにしえの世界は、夕闇迫る霧の風情を伴っていまだに一服の絵のように深く脳裏に焼きついて離れない。
 外国だけではない。日本でもまだ地方には昔ながらの、オイルステインの板作りの家を見かけることがあるが、子供時代に戻ったようで胸がキューンとなる。誰もいない真っ暗な古びた倉庫、小さい頃はこんなところが怖かったのに、今見ると背中がぞくぞくとして感涙の情がこみあげる。こうした思いは新しい建物からは決して感じられないものだ・・・。古いものが好きなのは年のせいなのだろうか・・・。



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