アマンダおばさんの
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5/7(日)

<親という字>


 朝7時ごろ用事があって長男に電話すると、「今もう仕事に向かっているんだけど」という返事。長男の居住地は病院から歩いて8分くらいの近いところなのにもう出勤なのだと驚いた。更にちゃんと決められた時刻どおりに仕事場に向かっていることに感動さえ覚えた。

 当たり前といえば当たり前かもしれないが中学時代および高校時代の長男を知っている私には驚き以外の何物でない。中学校は自宅から歩いて5分の近場にあった、にもかかわらず中学3年間での遅刻の回数は数十回にも及ぶ。当時4人の子供たちがあたふたと朝食を食べてそれぞれの学校に出て行くのだが、主人の身支度の手伝いをしていると誰が出て行って誰がまだいるのかわからない状態だった。嵐のような子供たちの登校&主人の出勤を終え見送った後「さーて洗濯物でも干すか」と2階のベランダに上がっていくと何と部屋に長男が寝ているではないか。今日は学校が休みなのかな?とも思うが同じ学校の次男は登校して行った。「行かなくていーの?」と尋ねて目が覚め、慌てて出て行く長男だった。

 またあるときなど皆が出て行ってほっと一息、優雅にコーヒーなんぞをすすっていると突然の電話あり。「もしもし私は○○中学の、K君の担任の○○ですが、まだK君学校に来ていないようなのですが、お心当たりはありませんか?」「え〜そうですか?」まさか山学校(学校に行かず他の場所で時間をつぶす)でもしているのではないだろね、とふと思い当たって長男の部屋にかけ上がっていくとなーんとまだ寝ているではあーりませんか。彼の悪い癖で、夜型(というより夜中型)の勉強をしているため朝が起きられないのだ。こんなことが何度かあった。
 3年間の遅刻の回数を合計すると高校受験に差し支えないかと少々青くなった。公立の高校は試験以前に出席日数、遅刻、早退の数を厳しくチェックされるからだ。いわゆる内申書というやつ。しかしながら成績のことと諸先生のおおらかな包容力のお陰様で希望の高校に入れさせてもらえた。

 遅刻をしてはいけないからと朝子供を起こしに行くのはいくらでも出来る。起こすほうが簡単な場合もある。だがしかし子供の自立ということを考えたとき、果たして中学にもなるわが子を起こすことが良いことなのだろうか、本人のためになるのだろうかと思う。遅刻をする様子を想像すると、授業の最中に教室に入っていくのだからきっと皆に笑われるに違いない。皆の前で先生にどやされることもあるだろう。だがしかし「自分が蒔いた種は自分で刈り取る」 自分がやったことは自分で責任を取りきるということを教えるのには絶好のチャンスなのだ。ライオンが子供を崖から突き落として教育するのは虐待ではない、親の深い愛情なのだ。そうするには親も器が必要だ。「捨てる器」である。しかし、決して意地悪で突き放すのではない。視線を遠くに見据えた愛情から発するものでなくてはいけない。
 「(特に)男の子は起こすものではない」という識者の言葉もあいまって我が家では4人とも朝起こしたことはない。が、あれから何年かが過ぎ子供たちはそれぞれ大人になったが、不思議なことに4人が4人とも時間はしっかり守る人間になった。6時に集合と言えば6時きっかりか、5分前には集まる。間違っても遅れることはない。私などは仙台時間の習慣がついていて30分遅れることは当たり前のようなルーズな生活をしているが、子供たちは時間に正確だ。社会の中で皆様に育てていただいた賜物であることは確かだが、少なくとも「失敗しないようにと失敗を恐れ先立って何でも親がやってあげる」状況だけは作らないことが肝心だと思う。
 居直るわけではないが、子供たちの教育には私なりの考えがある。以前にも書いたが、「親」という字は「木の上に立って見る」と書く。子供からちょっとだけ離れたところから見ていることが肝心だと思うのである。自動車の運転でもハンドルを握る目線が至近距離だったらすぐ何かにぶつかってしまうだろう。 ちょっと離れたところを見て運転するからまともに運転できるのだ。子育ても同じではないだろうか。


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5/24(水)

<ワンコの運命>

このところ子供の虐待や殺戮が頻繁に報道されている。抵抗できないいたいけな子供が、心無い大人にひどい仕打ちをされるのは心痛む。まして子供と同じにあるいはそれ以上に何の悪意も無い純粋なわんこたちが、虐待され殺される報道には思わず目を背けたくなる。先日も10何頭のワンコが公園で死骸として捨てられていたニュースを見た。暴力を振るわれたあとが無いことから、餓死だろうと伝えていた。犬舎に残っていたワンコの表情をカメラが捕らえていたが、どの子も覇気がなく中には具合が悪いとき特有の、目を細めにした弱々しいワンコも見受けられた。食べ物を与えられない、ということがどんなに苦しいことか考えただけでも涙が出る。彼らはきっと十分な運動場も与えられずに飼われていたに違いない。前に報道されたある所では300頭ものワンコが、狭いゲージの中に入れられっぱなしの養鶏場状態で飼われていたという。おそらくどちらのワンコたちも、そのような境遇でさえ文句も言わず順応していったのだと思う。
 ワンコの中で一番幸せなのは、暖かいファミリーに迎えられた子であろう。その中でも出来たら、お母さんかおばあちゃんが1日家に居るご家庭がベスト。人間とのコミュニケーションがいつも取れるワンコは幸せだ。当犬舎がどんなにワンコを大切に思っていると言っても、一般のご家庭で家族の一員として専属に可愛がってもらっているわんこにはかなわない。
 まさにワンコの運命は、扱う人間によって大きく左右されるといっても過言でない。
 1ヶ月半前に生まれたダックスの子の目の異変に気が付いたのは、生後1週間のころだった。もともとチビチビで生まれたため抵抗力が弱かったのかもしれない。まだ開いていない片目が異様に膨れていた。「ばい菌が入ったんだな」と認識はしていたが、その頃プードルで食が細い子に関心が向いていた。元気はいいのに食が細いプードルの子に何をあげたら食べるのかと、そればかりを考えていた。そのため片目が膨れたダックスの子のことは、すっかり飛んでしまっていた。が、気が付くと生後2週間過ぎ、開いた片目の角膜は白く濁っていた。私はそのとき、プードルにかまってダックスの子犬の目を忘れていたことを深く後悔した、そして自分を責めた。子犬の小さな体を抱きしめて「ごめんね」となんども言った。早めに抗生物質を飲ませ抗菌の目薬をさしてあげれば、見えるようになったかもしれないのに、自分が世話をするのを忘れたために、この子はこれから先の10数年の人生(犬生)を障害を持って生きてゆかなければならないのだ、と思うと子犬に謝っても謝りきれないもどかしさで胸が痛んだ。そしてサークルのそばを通るたび、懺悔の気持ちで他の子より多く抱っこしてあげた。しかし諦めるのは早計だ。だめもとで抗菌目薬だけはやろうと決心した。しばらくは変わりなかったがそれでも続けた。だが、何日かすると心なしか白の混濁がなくなりつつあるのに気がついた。そしてついにある朝、「おはよう」と入って行ったナーサリーで見たダックスの子は、もう片方と同じ澄んだ青の色をしていたのである!!  「良かったね〜!」心からそう思った。この子も普通に生活が出来るんだと思うと、目の前がパーッと明るくなり自分のことのように嬉しくてしょうがなかった。やはりばい菌が目に入ってしまったのだとわかった。抗菌目薬が救ってくれた。譲渡間際の出来事だったが、ショップに送る日、「いっぱいいっぱい尻尾振って愛想よくするんだよ〜、早くお客さんに買ってもらって幸せになってね。」と言い含め、最後の頬ずりをしてチョコタンの子犬は旅立って行った。「元片目ちゃん」はショップさんの厳しい検査にもひっかからず無事パスしたようだ、ショップからは今現在何も言って来ない。つくづく幸多い一生を過ごしてほしいと願わずに居られない。調子の悪かったプードルも今ではオーナー様にお渡しし、ちゃんと食べ、良いウンチをして元気に過ごしているようだ。「お手」や「待て」ももう出来るようになったとのことである。
 私自身いい子ぶるつもりは全く無い。実際自分の不手際や経験不足からワンコの命を落としてしまったことも何回かある。だが故意にしたわけではない。ワンコの魂の純真さに感動してワンコを飼い始める人はたくさんいると思うが、その純真さを裏切る輩が存在することも事実だ。後を経たないワンコの悲劇を少しでもなくすため、ワンコを扱う人間は心して接してほしいと切に願う。ワンコは人間と違い打たれても打たれても人間を信じてついてくる生き物だからだ。

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