アマンダおばさんの
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ちょっと見ないうちにいつの間にか暖かくなっていたと見え、遅い東北の地でも桜の花が咲き始めたようだ。ワンコをやり始めてから数十年、お花見などしたことはないが秋の紅葉同様 動物病院や空港への道すがら、街路樹や沿道の景色から季節を感じて感動しているわたくしである。桜の華やかさもさることながら、春というと心動かされるのは緑の中にポツリポツリと咲く藪椿だ。決して花密度が濃い明るいお庭の椿ではない。あまり日の当たらないうっそうとした高木の藪椿なのである。昨日病院に行く途中の国道沿いに誰のものとも知れない土地に藪椿と竹やぶを見つけた時、新鮮な驚きとともに遠い昔の記憶が蘇り胸がキューンとなった。 私が生まれ育ったところは田舎ではなかったが、今だと車で15分のところに母の実家の田舎があった。昔は徒歩→バス→鎮守の森を超えて子供の足で小1時間もかかった。学校が休みになるとよく母の実家に泊まりに行ったものだ。年下の従兄弟がいて一緒に遊んだ。母の実家は江戸時代からの旧家で、昔はそのあたりの大地主だったようで当時は田畑含めて広大な領地を所有していた。門の内側近くにはきれいな小川が流れていたが、そのほとりで従兄弟と私、妹の3人でよくおままごとをした。そしてその辺りには見上げるような藪椿がうっそうと茂っていたのである! 野草や小さなすみれなどを摘んでままごとをしていると、突然「ぽとっ」と椿の花が頭や手元に落ちてきた。そのつど子供たちは「わっ」と驚いて笑い転げるのであった。椿の落ち花を縁起が悪いと評する方もおられるが私はそうは思わない。目一杯咲いてぱっと散る・・・まさに美しい生き様、死に様といえるのではないだろうか。私も他人に迷惑をかけず椿のように去りたいものである。母の実家のあの藪椿の風情には他でめったにお目にかかることはなかった。 椿と同様に興深いのは竹林だ。屋敷裏の畑を通りすぎると北側にうっそうとした竹林があった。いかにも日が当たらず暗いその場所には子供ながらに恐れを抱いていた。が、従兄弟のおじさん、おばさんにひっついて分け入ってみると、土の中からひょっこり芽を出したたけのこがそこかしこに点在するではないか。死んでいるような竹林に密かに息づく生の息吹を発見した感動は未だに忘れられない。筍で恐怖は一気に吹っ飛んだ。他にも母の田舎には絵のような思い出が一杯詰まっている。田舎花の定番だった「おさらっこばな」「レンゲ草」「菜の花」夏には真っ赤なグミの木・・・毛虫がいるのでいやだったが、おじさんがはしごを使ってちいさな実を採ってくれた。たわわに咲いていた矢車草(菊)、秋には火のような彼岸花、色とりどりのコスモス、ダリア、カンナ、グラジオラス・・・畑にはほうずきも植えられていた。 鎮守の森のお祭りは、当時でも珍しいほどの田舎の素朴なお祭りだった。祭りのためにしつらえた舞台の上では、笛や太鼓の音に合わせてお神楽が催された。単純な音に合わせ鬼やおかめのお面をつけたいでたちで踊る様は圧巻だった。子供ながら別世界に没入したように目を見開いて見入ったものだ。日ごろは暗い森の中の神社もこの日だけは村の人々で活気付く。祭りの日には隣近所、そして遠く離れた親戚にまでお餅をついて振舞うのが慣例だった。 初夏の頃 縁側一面に並べられた梅干はみごとであった。すっぱい香りに誘われるようにいくつか失敬しては叔母の目を盗んで試食していた私。日陰ではみょうががたくさん自生していた。夏に自転車で売りに来るアイスキャンディー屋。種類はたった1つ白いミルクキャンディーのみ。裏の土手から降りると広い名取川が広がっていて真夏には川泳ぎが待っていた。トイレは外のぼっとん便所、昔ながらの紺の模様の入った陶器の和式便所だが暗くて臭くて落ちるのではないかと怖かった。お風呂はやはり外にしつらえた五右衛門風呂。電気がないためろうそくの明かりで入浴した。祖先の遺影が仏壇の間に並んでいた母の田舎・・・私にとって自然と恐怖が混在した大切な記憶の玉手箱だ。貴重な体験を与えてくれた母には心から感謝したい。
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