アマンダおばさんの
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6/1(木)
<カーサブランカ>

 6月、時まさに春爛漫、我が家の「秘密の花園」ならぬ「秘密のジャングル」にも公平に春が訪れている。かつて文豪徳富蘆花は自宅のわずか何坪かの庭を眺めて構想を練り「自然と人生」を書き下ろした、といわれるが、猫の額の我が庭ではあっても春の息吹は確実にひしひしと伝わってくる。
 ハニーサックル(すいかずら); エリオットなどイギリスの小説には必ずと言ってよいほど登場する花 そばを通り過ぎると甘い香りがあたりを悩殺する・・・とあるが、量不足のせいか我が庭のハニーサックルはそこまでは香ってこない。が、ラティスにからませたイエリッシュピンク(黄色みを帯びたピンク)は控えめの程良い色合いと独特のフィギアで見るものを魅了する。
 庭のなかほどには梅花うつぎの木が今まさに咲かんと白い蕾をたわわにつけている。最初は白なのが次第にピンクや赤の小花に変わってくる。ちょっと変わっていてひと房の中に白、ピンク、赤が混じっているところが気に入っている。いまでは大木になったがもとはといえば亡きシオン(ゴールデンレトリーバ)とボニー(ウェリッシュコーギー)を連れて主人と朝散歩に出かけた折、ある空き地に咲いていた小枝を1本失敬して挿し木したものだった。まさかうまくいくとは思わなかったが、水に入れて根が出た小枝を土に植えるとちゃんと根付いて年を追う毎に大きく育っていった。木は残っているのにシオンとボニーはもういない。
 リビングの目の前には高さ3mもあろうかオールドローズの「ピエールドロンサール」がパソコンの位置からちょうど良く見えるところにかなりの存在感を持って枝葉を広げている。まだたった1輪咲いたばかりだが枝枝にたくさんの蕾を蓄えている。手入れが比較的簡単で、放っておいても毎年咲いてくれるのが私向きだ。今年も次々と咲かせて目いっぱい楽しませてくれるだろう。薔薇は他に鉢植えだがルイーズ オディエ(濃いピンク)、グラハムトーマス(黄色)、マダムアルディー(白)、イーヴリン(アプリコット)、ソーフィーズ パペチュアル(ピンクのグラデーション)、紫玉(紫)がある。
 今年顕著なのは百合の「カーサブランカ」が増えたことだ。数年前、購入した球根を母に分けてあげた。母は鉢植えにし実家のリビングから見えるところに置いたところ見事な大輪の白百合が咲いた。花にはまったくの無感動で、「花は造花がいい。」と言う父に長女が「どうして?」と尋ねると「枯れないから」と言う単純な答えが返ってきて笑いを誘ったが、全てに合理主義?の父が唯一感動して「きれいだな〜」と言い放ったのがこの「カーサブランカ」だった。仙台だとちょうど今頃茎が成長し7月の中旬前後に花を咲かせる。昨年7月初め父が亡くなり葬儀が一段落したある日、いつものように実家に行くと父の祭壇に1輪の「カーサブランカ」が供えてあった。母がちょっと照れくさそうに「花を見ても何も言ったことのないお父さんが、この花を見てきれいだって言っていたので」と話してくれた。以来「カーサブランカ」は父の花になった。命日近くに咲くこともあいまって、昨年秋新たに20個の球根を購入しプランターに植えたのだ。内 数個は母にも分けてあげた。初夏の頃両腕一杯のカーサブランカの花を持って父の墓前に供えるのが目下の夢である。
 「カーサブランカ」にはもう1つの思い入れがある。今年83歳の母はハンフリーボガードとイングリッドバーグマンの映画「カーサブランカ」が大好きで、先日も悪くなった目をこすりながらも最後までビデオを見たと言う。もしかして、数十年前父とアフリカのモロッコを旅行した折の思い出に浸っていたのではないだろうか。かの映画が撮影された喫茶店を訪問した話は幾度か聞かされた。年は老いても夢見る夢子ちゃん(夢子おばあさん)の母にとって、理想の男性はボギーのような男性だったのではないだろうかと思う。全く逆のタイプの男性を連れ合いに選んでしまった母がやさしいタイプの男性を夫に迎えていたならば、母の人生もきっと違ったものになっていただろう。ともあれ、日ごろはけちけちの合理主義の父だったがうって変わって旅行には糸目をつけなかった。今でこそ海外旅行は誰でも気軽に行けるようになったが、40年も前の当時は費用も今より高く、かなり珍しいことだった。その頃高校生だった私は年に何回か父母が、海外に旅行するのを妹とともに留守番していたのを思い出す。バブル期で景気の良いときには会社を部下に任せ、国内外を問わず2か月に1回旅行をすることもあった。父の話では北極と南極以外行っていない国はないそうだ。日ごろ家に居る時は「びしばし」の父も旅行中はきっと母にやさしかったのではないだろうか。母は父に対して「旅行だけが取り得だった。」と述べている。きっとカーサブランカの花は父との甘い思い出になっているのかも知れない。私も機会があればいつか父母の足跡をたどりモロッコに行ってみたい・・・。


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6/26(月)

<親の課題>


昨日父の1周忌の法要が営まれた。思えば私たち夫婦がスペインに旅立って帰ってきたのが去年の今頃だ。お土産を持って旅行の話をしようと実家を訪ねると父は嬉しそうに私たちを迎えてくれた。母は、この10日余り父がスケジュール表を眺めては、今はこの辺にいるな、もうすぐここを出発だ、飛行機が出た頃だ、と娘とはいえ他人の旅行なのに毎日予定表を眺めて一緒に旅行をしている気分でいたと報告してくれた。84の老齢ながら頭はしっかりしておりちゃんとスペインの土地名を覚えていたのだ。十何年か前に訪れた場所の細いところまで知っていた。思い出に浸りつつ娘夫婦の安否を気遣って毎日スケジュール表を眺めていた父の姿を想像すると応えられるだけの親孝行をしただろうかと後悔の念に囚われる。スペインから帰って11日後に父は急逝した。きっと私たちが旅行から帰るまで待っていてくれたのだろう。旅の途中で帰国しなければならない不都合を避けてくれたのだ・・・。
 昨今親子の絆が問われている。親殺し、子殺しの事件は枚挙に暇がない。が,どうして自分を生み育ててくれた親を殺すことなど出来るのであろうか。父が厳しかった青少年時代でも私は親を殺そうと思ったことは一度もない。子供を生み育ててみると命を継続するのにどんなに大変かを思い知る。生まれて間もない頃は3時間おきに乳やミルクを与えなければならないし、危ないものから身を守ってあげなければと一時も目が離せない。これまで火傷をせず傷もつけずに来れたのは、父母の絶え間ないお世話と愛情のお陰である。人間は生まれたときから親の手厚い庇護なしには生きていかれない。人間ならば親の恩というものを感じて当然なのではないだろうか。
 しかしいろいろな事件をメディアから追っていくと、絆が破壊された親子にはそう考えられない何かがあるのだろう。連続して親殺し子殺しの事件が続いているが、その中のひとつに奈良の母子放火殺人事件がある。ご承知のように医師である父親に学業成績が思わしくないため叱られ殴られてきた経緯の中うそをついた、そのうそが三者面談で明らかになろうという前日に(義理の)母妹を巻き込んで家に放火した事件だった。聞くところによると父親は私立の医学部卒だったためコンプレックスがあり、息子には公立を目標により以上の学業成績を強要したようだ。確かに先がわからない受験では、過剰に子供に押し付けたりただでさえ揺れ動く思春期に受験と言うハードルが重なり親子共々不安定になるのは避けられない状況なのかも知れない。
 私のところでもほんの数年前までは受験の真っ只中にあり、結果がわからない悪夢の霧の中を進んでいくが如くに不安な毎日を過ごしたものだ。子供たちに「勉強しなさい」という言葉を直接言ったことはあまりないが、夕食後いつまでもテレビを見ているといらいらして「さー」と言ったり、ゲームをしていると「あと何分で終わるの?」と聞いたりした。今でこそニコニコしているが、当時は面白くない顔で、あるときには鬼のような形相で子供たちに向かっていたかもしれない。が、男の子が3人(+女の子)もいながら家庭内暴力はほとんどなかった。たった一度だけ長男が座布団を投げてきたことがあったが、私にあたらないようにはずして飛ばした。壁に穴があいているところもあるが、この頃の子供を持つお母さんに聞くと皆どこでも壁に穴のひとつや二つはあいているそうなのでまあ普通かもしれない。いずれにしても多感な時代を無事に通り過ぎて来れたことは感謝以外のなにものでない。
 それでは殺されなかった原因は何であろう。それは一家の柱である父親(主人)が大局に立ったものの見方をしていたからだと思う。「女性は子宮でものを考える」という言葉が表しているように、母親は生理的に、あるいは右脳的に感情で物事をとらえる傾向にある。これは私から言わせると男女の作りが違う分いたし方のないことだと理解している。その分子供に対しての愛情もこまやかなものになる。だが男性は本来理性的に物事を捉えるのがその本質ではなかろうか。女親が「勉強しなさい」と感情をこめて言うことはまあ許される。だが、男親が同じ目線で勉強を強いるのはいかがなものだろうか? 父親に叱られたことが原因で放火というのが近頃の顕著な現象であるが、第一に勉強しないことが叱るべき要素であろうか。子供を叱るときは細心の注意が必要だ。叱らなければならない時というのは限られてくる。「他人に迷惑をかけた時」「他人を傷つけた時」「自分を傷つけた時」だ。確かに学生である限り勉学に励むことは義務ではある。だが人から強制されて仕方なくやることで成功したものはあるだろうか。自分は将来こういう仕事がしたい、こうなりたいと夢を持つことにより、それならば具体的にどういう大学(あるいは専門学校)に入る必要があり、その学校に入るためにはどういう高校(あるいは中学校)に入る必要があるのか全て自分で考え意識を持って進むべき問題ではないだろうか。そうした路線に沿い現実社会に足をつけている者として、的確なアドバイスをし、更に子供とともに将来の夢を語るのが父親の役目と言えるのではないだろうか。その際、決して子供の前に立って引っ張ってはいけない。子供の自主性に任せて聞かれたらアドバイスする位である。それは子供のことに無関心というのとは意を異にする。むしろ子供をよく見ていることが肝心だ。子供を遠く離れたところから待つ心で見守ることだ。母親は、子供が迷っていたならば「おとうさんに聞いてごらん」と父親を立てることが肝心だ。実際実社会で経験が豊富でバランスの取れた見方のできるのは父親のほうだからだ。母親の狭い世界だけの見方とは違う。では父親が狭い了見の父親だったらどうしたらよいか。山之内一豊の妻ではないが妻が夫を立てる働きで、夫はどうにでもなるものなのである。「お父さんの言うとおりにしようね」、と言って夫を、あるいは父親を立て尊敬していくうちに次第に夫は(父親は)立派になって正しい判断が出来るようになっていくものだ。ご主人が奥さんと同じレベルなのは奥さんがご主人を尊敬していないからだ。子供は将来にそして実社会に不安感をいだいているものである。もし父親が社会の中で理想の対象だったならば子供は父親を模倣して容易に実社会に溶け込んでいける。だがそうでない場合はどう対処したらよいか迷ってしまうのだ。
 観点が反れてしまったが、親は失敗も含めて子供の様子を見ているだけでよいのではないだろうか。子供の後ろで暖かく見守っているくらいのほうが子供に自覚が生まれやる気を起こすに違いない。何でもそうだが、他人から言われてやるのと自主的にやるのとでは結果が大幅に違ってくる。それで結果が思うようでない場合はそれがその子の限界なのだ。またその時点で思わしくないように見えてもその後に能力が開発されて伸びていくケースはいくらでもある。逃げ場のない叱り方で「勉強しろ」と言って暴力を振るうなどと言うのは言語道断、本来たくさん可能性を秘めている子供の芽をつぶしてしまうのに等しいのだ。「勉強すれば可愛い」という条件付の愛情は愛情ではない。自己満足の自己愛でしかない。
 ではどうしたら子供がやる気を起こすか。答えはひとつ。親自身がひとつのことにやる気を起こし、どんな苦労があろうとも投げ出さず乗り越えていくその姿を子供に見せることである。それしかない。子供が勉強しないのは親の努力が足りなかったのではないかと自分を振り返る。主婦ならば家事に精一杯励んでいるだろうか、仕事を持っている人ならばどんなことがあってもめげずに立ち向かっていこうと日々励んでいるだろうかと点検してみる。間違っても子供を責めてはいけないのだ。子供が生まれたときは白紙の状態だった。成長するに従って色をつけていったのは他でもない、私たち親なのだ。黒くしみをつけるか、きれいな赤に色を染めるかは私たち親次第なのだ。産み育ててくれた親を尊び 夫婦仲良く、次の時代をになう子供たちをまっすぐ育てるのが私たち親に課せられた課題ではないだろうか。

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6/30(金)
鼻先ニンジンの効用

梅雨の真っ只中、ワンコたちのケアーにはより一層の注意が必要になる。ナーサリーの子犬たちの保温マットヒーターはコンセントをつけたり抜いたり、エアコン(除湿)を入れたり止めたり、室温によって加減しなければならない。さすがにFFのファンヒーターは終わりにしたが。ちょっと気を抜くと東側の朝日のあたるナーサリーでサウナ状態の子犬たちがハアハア、キャンキャンといっせいに合唱する。故に四六時中気を張っていなければいけない。
 ブリーダーの仕事はいわゆる3Kに属するのではないかと思う。きつい、きたない、くさい・・と。コンビ二の勤務状態であることは前にも話したが、きつい仕事であるほかにワンコたちの糞尿を扱うわけで汚いし臭い。世話をしている間何だか背中がなま暖かくなってきたと思ったら、上の段のサークルの親犬がしたおしっこの滴が飛んでくる。私の顔を見て嬉しくてピヨンピヨン跳ねてくれるのは有難いのだけれど、今 したおしっこの上で跳ねるものだからおしっこが目や口に入ることも度々。ウンチは常に検便駆虫に気をつけているため、あまり下痢便は見られないものの子犬は日に幾度となく排尿排便をするので、たびたび敷物を取り替えねばならない。犬舎には大型の換気扇&空気清浄機を取り付けているものの、臭いはある程度避けられず髪や衣服にワンコの臭いが染み付いている。突然の来客があってもすぐには出て行けない状態だ。また生き物を扱う仕事は酪農と同じで基本的に休日などない。エンドレスワークで延々と続くのである。世の中に楽な仕事などないに決まっているが、ブリーダーの仕事も例に漏れず見た目よりハードなことは確かである。
 それではどうやって自分をコントロールしているか。それは「鼻先ニンジン効果」だ。つまり鼻先に好物のニンジンをぶらさげて馬を操るが如くに、お楽しみを持ってきて作業をするのだ。例えばお昼休みにはあれを食べよう、それまで頑張ろう、とか3時から始まるあのテレビ、それまで頑張ろうという風に、鼻先にニンジンをぶら下げて目標を持ってやると、辛く見える作業が幾分楽になり終わったあと充実感さえ生まれる。パート1後のお楽しみの後はリフレッシュしてパート2に引き続く。
 以前学習塾をしていたときに保護者からよく相談を受けた。その頃全盛だった(今でもそうだろうか)いわゆるファミコンなどのコンピューターゲームに夢中になって勉強をしないためゲームをやめさせたいのだが、という相談だった。その時私は「やめさせる必要はないと思いますが」と言った。実際我が家の子供たちにもコンピューターゲームを禁じたことはなかった。むしろゲームを利用するのだ。この際、親が一方的に子供に押し付けるのではなくどうしたら勉強とゲームを両立できるかを話し合う。どうしてもゲームをやりたい子供の気持ちがわかり、また友達同士に共通の話題が必要なこともわかった時点で子供にルールを決めさせた。決った内容は、@1時間半勉強したら30分ゲームをする。A定期テストの2週間前からは一切ゲームはせず勉強に集中する。その代わり試験が終わってから1週間は好きなだけゲームをして良い、と言う約束を取り交わした。大人でも仕事が終わって一杯飲みに行く楽しみがあるからハードな仕事もやっていけるのだ。子供だって同じだ。勉強のみで楽しみがなければいずれ息詰まってしまう。お楽しみは何もゲームでなくとも良い、漫画やテレビ(ビデオに撮っておいてあとで見る)他好きなもの何でも良いだろう。子供が自ら決めたルールだから破った場合はルール違反になる。そこで自分が言ったことに責任を持つことを教える良い機会にもなる。3人の男の子たちは大方このパターンで中高時代を過ごした。長女はゲームに興味がなかったので定期試験が終わると友達と洋服などのショッピングに繰り出した。

 幼児期から食べ物に関しても甘いものをだらだらと食べさせることはしなかった。必ず「ごはんを食べたらデザート」がルールだった。お陰で何でも食べる子供たちに育った。
 人間にはインターバルが必要だ。永続的な緊張は出来ないのである。ロボットとは違う。

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