アマンダおばさんの
Random Diary
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12/3(土)

<ベラ>

 多くのブリーダーがワンコの生命の誕生とともに日常茶飯に経験していることはワンコの「死」ではないだろうか。ブリーダーとしての歴史が長ければ長いほど生の数ほどではないにせよ死に直面する数が多いと言えよう。私はまだ20数年しか続けていないので何十年も継続しているブリーダーの方から比べるとはるかに少ないかもしれない。中年期以降家族の一員として可愛がって下さる方に差し上げたワンコたちがいるので看取った数は今の所そう多くはないが、老齢期のわんこ達が何頭かいるのでこれからも増えていくだろう。
 先日もレッドのプードルの「ベラ」が亡くなった。直接の原因は急性心臓麻痺のようだった。ベラはレッドが日本に輸入されて数年たった頃の当舎の初めの頃の繁殖犬だった。バリバリの「パンパース」血統で、いわゆる神経質、シャイ・・・と本来のプードルの大らかさ、明るさ、賢さなどのプードル気質が欠けていた。アメリカのパンパース犬舎はレッドでは先駆者で、色においては偉業を残した犬舎ではあったが、その性格はいわゆる「気違い」といわれるような神経質な性格で日本に輸入された。べラではないが、他の子で家に来たとたんガブリと噛まれた子もいる。いいかげん嫌気をさしていたが、何とかしようと案じた時に性格改善にある血統を1本導入した。メスを入れて種オスを作った。この母犬の性格が本当に素晴らしかった。いわゆるねあかなのだ。いつもいつも楽しそうにしている。屈託がない、そして賢かった。人や他犬を恐れず、誰にでも人懐っこく犬懐っこい。それまでのワンコは小さいせいもあって難産で、また産後も神経質になってわが子を弱らせついに殺してしまったこともあったが、このお母さんは平気でたくさんの子犬を産んでくれた。子育ても上手で健全に丈夫に育ててくれた。その息子をしばらく交配に使ったが、なかなか乗らない前系統のオスと違い、踊るようにそして嬉しそうに、難なく交配してくれるのが有難かった。子犬を譲渡させていただいたお客様から「性格の良い子でよかったです。」と言っていただく時、少しなりとも改善の成果が上がったものだろうかと嬉しくなる。
 「ベラ」は、ここ5,6年は出産も終了しただ普通に余生を過ごしていたが、やはり老体に集団生活は負担だったのだろう。自由運動の最中に急な心臓発作で倒れ、必死の心臓マッサージにもかかわらず再び息を吹き返すことはなかった。性格は今一だったが小ぶりの可愛い子を何頭か生んでくれた。10数年の1世代が終わった感じがした・・・。 ベラの冥福を祈る。



12/23(金)

誕生日

12/20は私の誕生日だった。結婚して30数年、私の誕生日を忘れたことのない主人は「おめでとう!」と言って毎年必ずたくさんのバラの花がつまった花束をプレゼントしてくれる。たぶんこれだけの数だと高価なのだろうと想像すると、嬉しい反面もったいないという気持ちと果たしてこれだけの花束をプレゼントされるだけの価値が自分にあるのだろうかと自問自答する。日頃お世話になりっぱなしなのは私のほうで主人に贈ることは当たっていても私がもらうことには罪の意識さえ感じられ申し訳ない気持ちにさせられる。誕生日は「生んでくれた親に感謝をする日」といわれる。そしてこの日には親に「私を生んでくれてありがとう」とお礼を言うのだという。だが頭ではわかっていても未だかつてそう言うことができない自分に気がつく。父には多少恨みがあるが今はもう亡くなっていない。母は謙虚で穏やかな人だ。母に不満はほとんどない。だったらお礼の一言を述べても良いのではないかと思う。ができないのはどうしてだろう。感謝が足りないのだろうか。心底「生まれてきて良かった」と思えない自分がそこにある。 命題は今年もクリアーできず来年に繰り越されそうだ。
 ともあれ誕生日当日、4人の子供たちからは次々にお祝いのメールが入った。4人は家から離れそれぞれの暮らしをしているが、皆私の誕生日を忘れないで覚えてくれていたんだーと思うとやはり嬉しかった。中でも長男はメールの他に直接電話をかけてきた。研修で超多忙な長男は日頃電話をしてもなかなかつかまらない。質問をしても答えが返ってくるのは半日後だったりする。その長男が、ついでではなくおめでとうを言うためだけに電話をかけてきたことに感激した。口調はもうちゃんとした社会人だ。どれだけ社会の方々にお世話になり育てていただいているのだろうかと思った時社会の恩を感じた。今から10年ほど前の長男の受験時代を思い出した。受験のストレスで持病のアトピー症が悪化し、皮膚科の先生の十分な説明もないままステロイド塗剤の大量投与で全身に吹き出物が出てしまった。まるでミイラのようだった。夜中明かりの漏れている長男の部屋のドアーごしにそっと中をのぞいてみると、上半身裸の姿で全身にできた吹き出物の汁をティッシュでふき取っていた。ふき取ってもふき取っても収まらないのだろう、周りには大量のティッシュが散乱していた。足の内側にも出ていた、歩くとすれて痛いと言う。次第に通っていた予備校から足が遠のいていった。勉強に集中できないという、夜も痛くて寝られないと。夏前に予備校のトップ領域にいた長男は見る見るうちに下降線をたどり始めた。自分より下の成績でいた同じ高校の同級生が、秋口には長男を越していたことがショックだったのだろう、顔からもあせりの気持ちがありありと表れていた。そしてある時トイレに立った彼の部屋に用事で入ると枕もとに何かを書きとめたメモが見つかった。ふと見るとそれは思いつめた内容であった。事の重大性を感じた私はそ知らぬふりをして主人の携帯に連絡を入れた。大切な仕事の予定があったにも拘らず主人はそちらを人に任せ長男を引き連れて大病院の皮膚科に行った。小1時間も待った。その間これといって何も話さなかったというが、「君の辛い気持ちは君一人だけのものではないんだよ。お父さんも同じだ。一緒に乗り切ろう。」という無言のメッセージが長男にも届いたのだろう、それ以降 外目にもわかるほどに心切り替えて勉学に励むようになった。保育園時代には手をつないで園の送り迎えをした主人だ。やはり小さい時からの父子のふれあいが思春期に生かされたのだろう。
 受験の重圧にもめげず頑張った長男、勤務医で仕事一途な夫に不満を持ちながらも薬剤師をしながら1歳半の子供を上手に育てている長女、来春には地元国立の大学院を卒業しお蔭様で大手企業への就職も決まった次男、神奈川矢上の大学在住の三男は、来年は大学院へと引き続く・・・。やさしい主人と4人の子供たちに恵まれた私は幸福者と言えるのかもしれない。生まれたことに感謝しなければ・・・。





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