11/2(水)
<幸運な子>
無料犬の広告を見たとお電話をいただいた。4、5歳以上の成犬は一般のご家庭にペットとして無料でお譲りしている。せめて余生は集団ではなく1対1であるいは2か3で可愛がっていただきたいという思いでさしあげている。しかしだれでも良いというわけにはいかない。少なくとも半日は一緒にそばにいてお世話をいただける家庭で、責任を持って生涯の面倒を見ていただける方が好ましい。よく独身らしい男性の方から、たぶん単身赴任などで帰宅した時に寂しいからだろう、家に帰った時に犬がいると楽しいだろうと思って・・・、と里親を希望してこられる。折角のお申し出だがこういう方はお断りさせていただいている。長い間留守番を余儀なくされるワンコのことを少しでも考えてくださるのだろうかと不安になるからだ。また巷で聞くところによると里親募集サイトなどで、無料で手に入れたワンコを大学病院などの動物実験に売り飛ばす恐ろしい輩がいるそうだ。いたいけなワンコをそういう目にあわせないためにも受け入れの家庭環境はよく調査してお譲りしている。先の電話の方だが以前保健所で抹殺されるところだったワンコをもらい受け大切に育て、つい最近14歳の生涯を全うしてなくなったのだとお話いただいた。自宅続きの自営業でいつもワンコを見ていられると言う。こういう方ならきっとお譲りしたワンコを大切にしてくれるに違いないと確信した。成犬をお譲りしても良いと思ったが、ダックスで後足の片方の関節が曲がらない子犬がいたのを思い出した。ヨチヨチ歩きで時々足がカクンとなっても関節が曲がる子はたくさん運動をしているうちにいずれ普通に歩けるようになる。だが関節の曲がらない子は手術をしない限り伸びたままである。両親とも何ら異常がなくとも時にこういう子が生まれる。ダックスでは多い症状だそうだ。が、若い子犬の適応力、生命力はたいへんなものである。自分でリハビリしたのだろう、例え片足が曲がらなくともちゃんと工夫して立って歩けるのだ。走ることも出来る。生活するのに何ら支障はない。状態を見ていただきご了解の下この方に里親を引き受けていただくことになった。
幸せ行きの切符を手にした子犬を見て、ふと2年位前に同じように片足が曲がらないダックスの子犬リップ君のことを思い出した。リップ君も後ろ片足が曲がらなかった。しばらく幼児組の犬舎で自由運動をさせていたが、片足が不自由でも生活に何ら不便さは感じられなかった。人間の子供だったなら「何で僕だけこんななの?」と文句を言うところかもしれない。が、リップ君は自分に与えられた運命をあるがままに受け入れ、他の子と一緒に飛んだり跳ねたりじゃれたりと、犬舎の中で無邪気にそして仕合せに過ごしていた。その素直さが天に届いたのだろうか、生後5,6ヶ月になった頃、あるご縁で里親ご希望様からお電話があって「お婿入り」することになったのだ。長野県でペンションを経営されているご夫妻だった。幸いなことにHPにてお譲り後もリップ君の様子がうかがい知れた。ペンションの周りは自然がいっぱいだ。映像でリップ君が広い野原や雪の中を思う存分走り回っている姿が映し出されていた。そしてあとでわかったことだが、オーナー様が日本でも屈指の「マウンテンバイク」の第一人者であった。同じ仲間の方々がペンションを訪れる度にリップ君が人気者になっているとメールをいただいた。ご夫妻はマウンテンバイクの大会にキャンピングカーを引っ張って全国遠征に出かけるそうだが、どこに行くのでもリップ君が一緒だと言う。宮城県で大会があった折、リップ君と共に我が家を訪れてくださったが、お会いしてみるとご夫妻とも穏やかで謙虚な方たちだった。奥様は昨年のアテネオリンピックに日本代表で出場された。惜しくも入賞は逸したが、主人ともども海の外からテレビを通して応援させていただいた。リップ君という介在がなければこんなこともなかったとご縁を嬉しく感じた。「今まで離れたことがなくいつも一緒だったのに、アテネにだけはどうしてもリップを連れて行くことが出来ず、オリンピックの最中も寂しくて、寂しくて仕方がなかったんです」というオーナー様のお言葉を聞かせていただいた時に、どんなにかリップ君をかけがえのないわが子として慈しんでいるのだということが深く理解できたのだった。
「お顔がつまって目が大きく可愛い子」、と好みに合った子を希望される方は多いが、例え障害があっても受け入れ愛することのできる方は、本当の動物愛を持った方なのだと強い尊敬の念を持たせていただく。
障害のある子でも温かいオーナー様とのお出会いによってこの上なく「幸運な子」になれるのだ・・・。
11/9(水)
<獣医師その1>
「田中しんのすけくーん」 ぼーっと順番を待っている待合室、看護師の声でふと我に返る。「田中しんのすけ君?」 うん? よもやここは人間の小児科ではあるまいな。 しんのすけ君って誰? 身を伸ばして診察室を覗くと飼い主さんの背中越しに何やら小動物が見え隠れする。ドアーのガラスにへばりついてよく見ると何と「しんのすけ君」は小さなクワガタだった。まじめな顔で患者の名を呼ぶ看護師の姿もあいまって思わず吹き出してしまった。以前にも似たような場面があった。ハリネズミの「林りん太郎君」だ。 なるほど飼い主にとっては大切なペット=伴侶なのだろうりっぱな名前をつけている。今通っている病院は犬猫以外に小動物も扱っている動物病院なのだ。
ちなみに私もたくさんのわんこたちにそれぞれ名前をつけてきた。ソフィー、アマリリス、ベティー、ジュリー、ハンナ、アンナ、ベラ、ハインド、オードリー、ブルーネット、シースルー、アマランス、ノエミ、メルモ、フラッパー、ブランベリー、ダイアナ、ティアラ、デイジー、ミーガン、ルーシー、マーシャ、ジャネット、ベッシー、ミーシャ、・・・全部あげたらきりがない、洋風の名前では思い浮かばず、えーいめんどうだ、と今度は和風の名前の、はなこ、みよこ、よしこ、まちこ、みちこ、のりこ、しげこ、ともよ・・・とつけていった。
25年のブリーダー生活でわんこの名前の数もさることながら、男性遍歴ならぬ、獣医師遍歴も相応に重ねてきた。 A動物病院、何ヶ月か通ったある時A先生はある失敗をした。そのことで子犬5頭が商品としての価値を失った。当然知っておくべきことを知らないでいたためのミスだった。
次に行ったのはB病院。車で10分のところで比較的近い。 ところが診療中やたらと文句が多い。断尾をするのに連れてくる時期が早いの遅いのと不満を言う、病気で具合悪いワンコを洗って連れて来て、と要求する。子犬を購入していただいたお客様にも初めは紹介していたが、皆次々とB獣医から離れていった。
次に通ったのがC病院。C先生ご夫妻は、 根は良い方たちだった。夜遅くの手術(主に帝王切開など)にも快く対応してくださったし何かと優遇してくれた。朗らかな奥様とよく冗談を言って笑った。だがしかしひとつ難点は他に看護師がいないため帝王切開に立ち会って子犬の蘇生を手伝わなくてはならないことだった。母犬のお腹を切り開いた哀れな姿のお披露目も何十回となくさせてもらった。そして1頭1頭子宮から出される子犬の救出に当たるのがなぜか私の役目だった。その間中も家に残してきたわんこ達の様子が気にかかる。この時間があったらわんこ達のあれをしたい、これもしなければ、頼りない子犬に哺乳もしたいのに・・・何で私が手伝わなくてはならなんだ・・・とちょっぴり不足に思うようになった。そしてある時帝王切開をしたヨークシャーテリアが縫った糸を取ってしまい内臓がもろに飛び出てしまったのをきっかけにご縁を絶たせていただいた。医療ミスは人間社会でもあることで完璧にやってください、とは言い切れない。糸を取ったわんこにも責任?があるし、もちろんよく見ていなかった私にも落ち度はあるだろう、だが死んでしまったヨーキーに「ごめんね」だけでは何か収まらなかった・・・。
次に行ったのは市内を南から北に縦断するほどの遠隔地にある獣医さんDだ。なぜ選んだかというと夜の9時まで診療しているからだ。ブリーダーにとってこの時間までやってくれるのは有難い。ワンコたちの世話が一区切りついて連れて行くのにちょうどよいからだ。この獣医師のよい所は動物をこよなく愛していること。時に診察台に乗った子犬に赤ちゃん言葉で話しかける。また、だめなものはだめ、と毅然として言うが隠れたところでやさしさを示すダンディズムを備えている。更にD獣医師はブリーダーの私にも親切に接してくれる。獣医師は時としてペット飼いのオーナーさんには親切だが、なぜかブリーダーには冷たい。なまじ薬や病気に関する知識を得ているからやりにくいのだろうと想像する。しかし病院に診察にやって来るワンコ、ニャンコはどこから来るのだろうとちょっと考えればわかるはず。動物は決して自然発生はしないのだ。そのほとんどがブリーダーから提供されることを思い出して欲しい。D獣医はそのことをよく理解している。それは取りも直さず自分の立場だけではなく相手の立場も理解できる、と言う点で器の大きさにつながってくる。器が大きいということは対ブリーダーのみならずペットのオーナーさんに対しても同じ態度で還元されるものなのだ。B獣医師とは対象的。 時折獣医学のことで議論を戦わせることもあるが、これまで波風立たずに親しくやってきているのは先生の魅力?のせいかも・・。
最近同時に行き始めているのはE救急動物病院。D先生は良いひとだが、獣医師が一人しかいない場合、診療中は緊急の手術には対応できない。朝9時から翌朝5時まで診療している緊急(コンビニ)病院は大変頼りになる。また、何人かの獣医師を抱えていることで行けばすぐにでも手術に応じてくれるところが最大のメリットになっている。唯一難点は在籍している獣医師全員がベテランで腕が良いとは限らないことだ。中にはまだ新米らしい獣医師も散見される。だが解決法はある。ベテランの獣医師がいる曜日と時間を予めチェックしておくことだ。
獣医師選びは相性もあると思う。どんなに腕が良い獣医だと言われても相性が悪いと長続きしない。完璧な獣医などどこにもいないのではないかと思うが、私が選ぶ基準はこうだ。
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人間的にバランスが取れている獣医師(ただし、80%合格でよし) *看護師さん、及び受付係が度々変わるところは要注意。先生の人格に問題あり。
A 獣医師であるからにはワンコ、ニャンコその他小動物をこよなく愛していること *診察台に乗ったワンニャンの接し方をよく観察する。
B 料金が普通。*ただし腕がピカ一の獣医師は高めになるのが当たり前。
C 外科の手術は上手下手がはっきりする。帝王切開その他の手術後腸などが癒着する獣医師には頼まない。癒着させない獣医師がGOOD。
D 飼い主の要望に全部は応えられないとしても出来る限り応えようと努力する姿勢が見られる獣医。*横柄な態度の獣医師は問題あり。人間の医者でも医師国家試験では患者に対する接し方が採点の対象になる。
E お金儲けを前面に考えている獣医は避ける。*レントゲンなどで胎児の大きさと出口の大きさを測り「大丈夫ですよ。切らなくとも出ると思いますよ」と帝王切開の不必要を伝えてくれる獣医師はGOOD。 必要ないのに「切った方が安心です」などと言う獣医は疑問。何事でもそうだが、ひとつのことを熱心に良心的にやっていると自ずとお金は寄って来る。が、お金そのものを目指すと離れていく。水はかき寄せると脇から流れていってしまうが、逆に押してやるとすっと脇から入ってくる。
自分が完璧ではないので獣医師にばかり完璧は求められない。ほどほどで相性の良い獣医師と細く長く付き合うのが一番と思っている次第である。
11/20(日)
<子育てと教育>
実家で蟹パーティーをしようと、母の住まいに我々夫婦と嫁いで近くに住む長女、1歳半の孫が集まった。父がなくなって以来これまでも母を元気付けようと、何かと集まっては鍋パーティーなどをしてきた。元気であどけないひ孫の姿を目で追っては微笑んでいる母である。1歳半の孫(男の子)は今溢れんばかりの好奇心で見るもの全てを触り、口にし、言葉を覚えようと生気が全身にみなぎっている。植物の葉っぱを触らせて「葉っぱよ」と言うと「はっぱ、はっぱ」と繰り返す。手の感触と発音がインプットされたのだろう別の場面で葉っぱの傍に行くと「はっぱ」と口から漏れ出た。なんという吸収力であることか!「光の子らしく生きよ」と聖書で述べているが、まさに光の子のごとくにきらきらと輝いている。幼児期に発散される好奇心を大人の曇った目でかき消しては決していけない。もともと教育=educationはeduceというラテン語が由来。educeとは引き出す、という意味だ。つまるところ教育の根本理念は子供に教え込むことではなく、もともと内在しているものを「引き出す」ことが教育の本来の意味なのだ。更に付け加えるならば、もともと持っていないものは引き出せない、ということになるだろう。例えば私、小学5年から高校3年の初めまでピアノを習ったが、少しも物にならなかった。モーツアルトのソナタまで行くのに8年もかかりそれもかなり下手くそだった。ある所まで行って何か自分の限界と言うものを確かに感じ取った。もともと両親とも楽器には不慣れな家系である(ただし、両親に似なくとも隔世遺伝ということもある)。
しかし目が離せない盛りの小さな男の子に向かい、長女はよく子供の心に入り受け入れ、そしてeduceしている。この長女が同じ年のころ私は果たして同じように長女に接してきただろうか、と振り返る。が、答えはNoだ。多くの母親は最初の子供に必要以上の緊張感を持って子育てをスタートする。私も決して例外ではなかった。4人育てた今振り返ると何という親だったのだろうかと反省、どころか自責の念に囚われる。正直に告白しよう。長女も今年で31だ。30年も経ったら時効だ(勝手に時効にするなって?)。何を隠そう30年前私は最初の子供である長女に幼児虐待をしていたのだ。生まれて3ヶ月目育児ノイローゼで長女のりんごのような
ほっぺ をかじってしまった(決してりんごと間違えたのではない)。3900gで生まれた長女はミルクを残すことなく一気に飲み干してしまう。飲んだ後ももっとよこせと大泣きをする。ミルクを飲まずにいらいらするお母さんも多いのに、私はミルクを一気飲みする長女が可愛げなく思えた。主人が外出したのを見計らって長女をベッドからつき落とした。それでも後遺症なく今日まで至っているのだから根っから丈夫なのだろう、人一倍元気だ。今まで自由奔放に生きてきた者が突如出産により母親になり、赤ん坊という手かせ足かせでがんじがらめになるのだ、おかしくならない方がおかしいのだ(居直るつもりか!)。幼児期になればなったで
これまたたいへん、長女にとってはしばらく受難の日々が続くのでありました。まず1日のスケジュールを決めた。朝7時に起きて歯を磨く・・・そんなのはどうでも良い、全ての関心は長女の知的教育に向かっていたのだ。長女3歳、午前9時NHKの「お母さんといっしょ」を見る。部屋の中には「テレビ」「ステレオ」「まど」「いす」「ほん」「カーテン」などと書いた札紙がその場所のいたるところに貼られてある。まるで年中無休の七夕さまだ。全く落ち着かない。字を教えようという魂胆だ。「お母さんといっしょ」が終わると近くの神社に遊びに行った。近所の母子ペアーの溜まり場だった。子供が中々皆の中に入れなく、いらいらした。遊びが遊びでなく強制労働になってしまっていた。帰ってきて昼寝をすると本を読み聞かせた。それだけなら普通だ。が、読んだあと子供に必ず聞いた「今のは
どんなお話だったの?言ってごらんなさい。」と。もともと絵本の読み聞かせは絵本を通して子供に情緒を育てるものだ。決して国語の試験問題などではない。話の内容を要約する必要などないのだ。親の浅知恵が子供を不幸にしてしまった。長女は子供4人の中で一番読書が嫌いな子供になってしまったのだ。
自分が間違った方向に、実らない無駄な努力をしていることにようやく気がついたのは主人のお陰だ。「子供の教育は俺に任せてくれ」の一言、以来わからないことがあると真っ先に主人に聞いて子育てをしてきた。主人の考えはルソーの「エミール」が基になっている。あの量を私は読みきれなかったが主人は学生時代完読した。著者であるルソー自身は子育てに失敗した人であるが、彼の理念は間違ってはいない。「自然に帰れ」と、幼いころから自然にふれさせることの大切さ、押しなべて自然の摂理を知ることの重要性をルソーは著書の中で述べている。それは取りも直さず自然のルールに則った育て方をせよと言い換えることができるのではないだろうか。不自然な子育ては不自然な結果を生み出すことになる。押し付け、強制は不自然な行為だ。だが、子供がもともと持っているものを無理なく引き出すことは全く不自然ではない自然な行為なのだ。そのことに目覚めた私は長女に一切教え込むことをやめた。それは長女のみならず、次に続く長男、次男、三男に対しても同じだった。小学校入学までにひらがな位覚えなければ、とあせるかもしれないが、あえて教えなかった。教えない代わりに子供に聞かれればとことん誠意を持って応えた。わからないことがあれば「お父さんに聞いてみようね」と言い、あるいは事典を引いて調べた。そのころはインターネットなどなかった。ひらがな、数字は親が教えなくとも長女が長男に教え、次男に教え、三男は上3人に教えてもらって小学校に入学した。巷では幼児期に知的能力を開発しておかないと手遅れのような考えが横行していた。幼児期は確かに大事だ。幼児期に受けたものでその後の一生の大方が形作られる。後は車輪が軌道上を惰性で動いていくが如くに回っていくだけなのである。だが、何を焦点にするかが問題ではないだろうか?もう一度子育てをするならば(5人目はもうできないが)、あるいは孫育てをするならばこの時期最も重要なことは人間社会で生きていく上での道徳、倫理をしっかり身につけさせることではないかと思う。人に会ったらあいさつをする、迷惑をかけないよう配慮できる人間に導く、万一迷惑をかけてしまったら素直に「ごめんなさい」と謝れる人間に育てる。人に何かしてもらったら即「ありがとう」と感謝できる心を作る。目上を尊敬する、どんな人ととも仲良くできることなどなど。そんなこととっくに知っている、と思うかもしれない、だが、幼児期
知的能力にばかり囚われて倫理教育がなおざりにされると何年後か、あるいは何十年後かに必ず破綻がやってくる。破綻しないまでも魅力のない人間として周りから相手にされずその能力さえ十分に開花されないで一生を終える。
子供におしつけるより親が見本になって見せていくほうが数倍楽だということに気が付く。「子は親の鏡」だからだ。こういう人間になってもらいたい、と思えば、親自らがそうすれば良い。頭の良い子に育ってもらいたいと願うならば、親自らがいろいろなことに大いなる興味と好奇心を持って事に当たるのが良い。子供たちが小さい頃6人家族、よくいろいろなところに行った。長女の通っている幼稚園は自然環境の素晴らしいところで幼稚園自体がうっそうとした木々に囲まれていて、連なる森を通り抜け10分も歩くと広い敷地の県児童館に行き着く。毎日曜日キリスト教主義の幼稚園の日曜学校に家族で参加した。礼拝後にはお楽しみがあった。春にはイースターの卵作り、園内でお花見、秋にはどんぐり拾い、落ち葉焚き(その当時は許可されていた)、焼き芋。冬にはクリスマスのアドベント、クリスマスミサ・・・。と今思い出してもアットホームで心洗われる思い出深い光景だった・・・。親子共々見る植物、触る虫に心動かされた。 <次回に続く>
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