6/9(木)
<わんこを通して・・・ ちょっと良い話>
2ヶ月ほど前のことだった。宅配のおじさんが重そうに大きなダンボールの箱をかかえてきて「はんこをください」と言う。「何だろう、こんなにたくさん・・・何か買った覚えもないし・・・」と思いよく見ると、差出人は半年前に当方から子犬をお求めいただいた方だった。お譲りさせていただいた子犬君をとても気に入っていただいたようで、何かお礼を、というメールは届いていたが、まさかこんなにたくさんの量と数の品が届くとは思ってもみなかった。在日韓国の、食材及びレストランを経営されているPさんからのものであったが、中を開けて見ると,各種キムチ数種類、水キムチ、佃煮のようなもの数点、韓国のり、チジミの粉たくさん・・・その他、と、まるで小さい出店が開けるような食材の量である。きっと「ダイアリー」をご覧いただき私の韓国料理好き(料理、というより食べるほう)を知ってお送りくださったのだろう。 嬉しかった。 一部をアシスタントのYさんとMさんにお裾分けし、また父母の所に分け、はたまた長女夫婦と次男に分け、県外の長男、三男にまで送ったが、それでもまだまだ私達夫婦が食するに十分な量である。その日からキムチチャーハン、冷麺、キムチスープ、キムチチジミ、豚キムチ、キムチ牛丼、キムチ焼きそば、と続き、はたまた五目ごはんにまでキムチを入れないと気がすまない有様。我が家の「韓国フェアー」が始まったのでありました。 お返しには仙台の名産品を送らせていただいた。 ちょっとだけ日韓交流に寄与した気分だった・・・。
数年前にお譲りさせていただいたティーカップのR君、一頃は「R君のようなプードルが希望」、とたくさんのメールをいただいた。RくんのHPは私のHPよりアクセス数が多い時期もあった。恐らくRママのところにも製造元のブリーダーを問うメールが多々あったであろうと想像する。ご迷惑をおかけしているのでは、と尋ねたこともあった。迷惑だったに違いないのにその様子を感じさせないRママ。いつお電話してもやわらかな京都弁でやさしく受け答えしてくれた。だがいつのころかR君のHPがフリーズして見れなくなっていた。何かあったのかなと心配だったが、最近何気なくR君のHPをクリックするとトップ画面はすでになくなっていた。これはもう電話するしかないと一大決心し思わずダイヤルを押した。するとあっけなくRママが電話口に出られた。「おひさしぶりですー」となつかしい京都弁。心配をよそにお元気な様子にひとまず安堵。「ご病気か、何かあったのではと心配だったんですよ〜」、と言う私に「すいません、ご心配かけて。実は妊娠してHPを休んでいたんですー。子供はこの5月で1歳になりました。」と話してくださった。何と、病気どころかおめでたい話ではないか、我が事のように嬉しくなった。加えて「今度また引っ越すので宮澤さんに新しい住所をお知らせしようと思っていたところでした。」と言ってくださったのである。もう2年くらいもお話していなかったし交流もなかったのに律儀にそうおっしゃってくださったことが何か嬉しかった。まだ私のことなどを気にかけて下さっていたのだと。R君を育てたようにきっとお子さんもごりっぱに育てられるのだろうと確信している。
当方のプードル種オスと交配して1ヶ月、ドップラー検診で「妊娠」の判定が出ましたとご報告してくださったTさん。出産の折にはちょっとだけお産のアドバイスをさせていただいただけなのに数日後お礼の品が届いた。出産はオス1頭、メス1頭だったようだ。交配の折には手作りのチーズケーキもご馳走になった。どこまでも礼を尽くされるTさんの暖かいお心が深く身に沁みた。
当方から男の子と女の子を9ヶ月違いでお求めいただいたKさん。新しくHPをオープンされたとご挨拶メールが入った。動画を踏まえてHPを拝見すると、どんなにかご夫妻が2頭を慈しみ大切にされているのかが改めてわかった。2頭、と言うのがはばかれる。お二人、と言ったほうが良い位だ。実のお子さんのように考えているのだと、そう思った。しあわせに、と願う気持ちだけでお譲りさせていただいた子犬たちであるが、Kご夫妻にとってお二人?がファミリーの一員になることでどんなにか至福の生活を過ごしておられるのだろうかと想像した。
少しなりとも人様の仕合せに貢献できたことが我仕合せに感じられた。
子犬をお譲りさせていただき、生き物ゆえ時として完璧にいかない時もあるが、こうしてワンコを介して心温かいお人様と出会わせていただくことが何と有難いことなのかとしみじみ思う今日このごろである。
6/26(日)
< スペインへの旅 その1>
12日夜から22日まで骨休めにスペインに行って来た。わんこ達のことが気にはなるが、そう言っていたら死ぬまで「エンドレスサマー」ならぬ「エンドレスワーク」になりかねない。自分へのご褒美と何かと助けてくれる主人への日ごろの労いを兼ねて大変な中を強行突破し行ってまいりました。アシスタントのYさん、Mさん、お産のワンコを預かってくれたブリーダー友達のKさん、そして次男の協力があっての休暇でした。
基本的に海外は毎回1国周遊に決めており、また夫婦2人だけでの個人旅行を原則にしている。今まで海外へは近場を含めて10回くらいしか行っていないが、結婚後初めて行ったハワイ以外は全て個人旅行である。費用は団体の倍くらいになるが、失敗しながらも主人と協力して旅する「やじきた道中」はなんとも言えず楽しく、途中現地の人と関わりを持ちながら、聞きながらの旅は何が起こるかわからないハプニングのおもしろさも期待でき捨てがたい魅力となっている。今回も航空チケットの手配、ホテル選び、オプションツアー、レンタカーの手配、AVEなど列車の手配、入場券の手配など全て自分でやった。スケジュールを自分で考えるところからすでに旅の楽しさが始まっている、と言っても過言でない。以前はFAXでのやりとりで予約を取ったが、今はインターネットと言う便利な通信手段があるお陰でよりスムースにそして何でも自分でできるのがおもしろいのです。マドリッド−コルドバ−セビリア−マラガ−ミハス−グラナダ−バルセロナのスケジュールで旅をした。マドリッドまでの直行便はなく、KLMオランダ航空で途中スキポール空港へ。マドリッドの便まで中継1時間しかないという中、お腹の調子が悪くなりトイレで15分もロスしてしまった。あとは走るのみ、スキポール空港の端から端までひたすら走り、渋滞の手荷物検査にもかかわらずようやく間に合った。マドリッドでは繁華街の超便利なホテル「アトランティコ」に3泊した。このホテル、清潔で受付の人も感じが良い上にこまいところに気配りをしている。チップを置いても受け取らない、朝食のバイキングが豪華で昼食が入らないくらいだ。またグランピア(銀座のようなところ)のど真ん中にあるためセゴビア、トレドなどのオプショナルツアーに行くのにも、買い物をするのでも、はたまたタブラオにフラメンコを見に行くのでも(ホテルの向かいです)とても便利なロケーションにあって、これから行く方には超お勧めです。お値段も日本円で1泊15000円くらいのリーズナブル価格でした。
3日目新幹線AVEで一路セビリアへ。ここからはレンタカーのお世話になり、宿泊はセビリアから車で30分の憧れの「パラドールカルモナ」に2泊。前は〜王の館だったらしい。その昔、日本から支倉常長のご一行様もお泊りになったゆかりのお城である。入り口の城壁が歴史を感じさせる。お部屋は総大理石の床、バスルームで窓も木で出来た昔のままの窓である。外を眺めると小高い丘に位置するせいか素晴らしい世界が一望できる。ところどころにオリーブの木とそしてみごとなきょうちくとうの花々!!スペインではいたるところに赤、紅、ピンク、そして白のきょうちくとうの花がこれでもかとばかりにわんさか咲いておりました。改めてきょうちくとうの美しさを見直した次第です。
中世やそれ以前の古い歴史が好きでヨーロッパに足を向けることが多い。大概の国で英語が通じるが、今回のスペインでは通じないことが多かった。AVE(スペインの新幹線)では同席したおじさんとおしゃべりをしたが、フォトグラファーで、コルドバの先の町にブーゲンビリアの花の写真を取りに行くのだと言う。フォトグラファー位のインテリなら他の国では英語は話せるはずである。しかしながらこのおじさん、込み入った話になると肩をすくめて「わからない」を示す。タクシーの運転手さんも分からない人が多かった。スペイン人はとりわけおしゃべりな人が多く、運転手さんも何かしゃべりたいだろうと英語で話しかけるが、スペイン語で「わからない」を繰り返すのみ。車中黙っているのが気の毒になる。もっともスペインを訪れる我々がスペイン語を勉強していくのが礼儀ではあるのだが・・。小さな売店のおじさんに「このポテトチップスは塩味か?」と簡単な英語で聞いてもわからない。困っていたところを青年が来て訳してくれお陰でポテトチップが食べられた。
スペイン人は男性も女性も綺麗な人が多い。ヨーロッパ系とアラブ系のミックスになるのででそうなるのか・・。(私)5kgほどダイエットして行ったから少しはましかと思いきやまだまだである(ショボン・・)。グラナダのパラドールのフロントマンは身長2m以上もあろうかという超イケメンだったが、この世のものとも思えない美しさに言葉も出なかった。美しいだけではなくかなりの重さのスーツケース2個をすいすいと2Fのお部屋まで運んでくれるやさしさを兼ね備えている。その後も全てに親切だった。彼とのツーショットを撮らなかったのが唯一の後悔である。
<以下その2に続く。>
*不許転載*Copyright(C) 2001 S.Miyazawa
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