7/3(日)
<スペインへの旅 その2>
カルモナのパラドールの一夜はドレスアップして同内レストランへディナーに。そして翌日の夜はタパスを目指してカルモナの町に繰り出した。時まさに夏時間、日が暮れるのが夜の10時過ぎ、昼間と同じく全く明るい。町の広場では楽器を鳴らして踊っている人々、ベンチに座って読書している人、小さな子供たちがはしゃいで追いかけっこをしている。それ以外はバル、と呼ばれる(イギリスのパブ、フランスのカフェのようなもの)居酒屋兼レストランのアウトサイドテーブルで賑やかにおしゃべりをしている。 スペインの料理はフランス、ベルギーに比べ少々雑な感じを与える。改めて日本人の味覚の素晴らしさ、日本食の細部へのこだわりの感を強くする。しかしながら異邦人の間に入り人々を眺め、のんびりと時の経つのを忘れて食事をするこの贅沢さにこの宵はすっかり酔いしれてしまった
翌日、あたり一面のひまわり畑を通りぬけ、レンタカーで一路港町のマラガへ。綺麗な町マラガでアンチョビーとアーティチョークのピッタ(パンに具をはさんだもの)を食しおいしさに頬が落ちそうになる。午後ピカソ美術館へ。白い村で有名な「ミハス」ではロバタクシーで村を一巡する。ロバの顔を見ると暑さで生気を無くしている、が少しなりとも餌代になるのなら、とロバタクシーに乗った。乗っている途中でロバがほんの少し暴れたため引き綱を持っているおじさんが綱のついた頭を揺さぶって叱っている。一瞬、置いてきたわんこ達のことがダブって思い出され、思わず「可愛そう・・」とつぶやいた。日頃ちゃんと手厚く世話をしてもらっているのだろうかと案じた。
ミハスから車で1時間半、夕方このたびのメインイベントであるグラナダのアルハンブラ宮殿に着いた。宿泊所はアルハンブラ宮殿内の「パラドールグラナダ」。パラドールは国営になっているが、昔の宮殿や修道院をそのまま利用した4つ星から5つ星ホテルだ。団体客は断っており個人の旅行者のみが可能だ。パラドールは半年前から予約をしないと取れないと言われる中、何とか3ヶ月前に予約が取れラッキーだった。ホテルのフロントマンは前述したように心のこもった応対をしてくれた。片言の日本語さえ話せる人もいて雰囲気が和んだ。お部屋は壁、バスルームとも黄色で統一されていた。黄色というよりマンダリン色(卵色)。そういえばスペインの、特に南の方は白壁もあるが、同時に申し合わせたように「マンダリン」色の壁であることに気がつく。家の外壁だけではなく内壁もマンダリン色が多いように感じた。私は黄色系は合わせにくい色のようで避けてきた色のひとつであった。ベージュは好きだが、黄色の服は少ない、庭の花も黄色を入れるとバランスが崩れるような気がして極力避けてきた。だがしかしお部屋はマンダリンを基本色にカーテン、調度品を見事なまでに調和させている。バスルームの黄色い大理石は初めて見たが、深みがあってとても素敵だ。今度家を新築する時はこの色に決めた。「マンダリン」という色が今回の旅を通してとても好きになった。
食事はパラドール内のお庭でいただいた。グラナダ最古の町並みが残るアルバイシンの家々を遠くに眺め、木々の間で小鳥のなき声を聞きながらいただく夕食、ワインは何とも言葉では言い尽くせない、「いとおかし」の世界だった。ギターの演奏も素晴らしかった。
テーブルのパンの残り屑を食べにすずめたちが代わる代わるやってくる。人間を全く恐れていない。日本のすずめとの違いを感じた。生き物に愛情を注いできた欧米人との歴史の違いであろうか。
食後アルハンブラ宮殿の園内を散歩する。高台の周りを一望できる場所にはもうすでに何人か人が来ていて、日が暮れる景色を楽しみながらのんびりと過ごしている。夜の9時だというのにお散歩に来たわんちゃんと戯れたり、結婚式の帰りに立ち寄った新婚夫婦の写真を撮ったりできるのが何か不思議に感じられる。広大な敷地にたたずむと、「日の沈まない国」といわれたかつてのスペインを彷彿させられる。もう家に帰りたくない気分だ。一生ここに居てお姫様をやっていたい(乳母役だろう)。日本に帰れば余韻に浸っている暇はない。早速うんちさらいが始まるのだ。「わたしを日本に連れて行って・・」ではなく「わたしを日本に連れて行かないで・・」!。
AVEで乗り合わせたフォトグラファーは少ししか英語が通じなかったが、それでも一生懸命悪い輩に遭うことがないよう、彼らの手口について教えてくれた。ジプシーが占いをしてあげると言って持ち物を持って行ったり、アフリカから渡ってきた黒人が旅行者の目前で小銭を落としてそのすきにバッグをひったくっていったり・・が多発している、その他いろいろなケースを教えてくれた。人と人とのコミュニケーションは決して言葉だけがその手段ではないということがわかる。暖かい気持ちがあれば心通じるものがあるのだ。
上記の記述と矛盾する点だが、旅行に行くたび思うことは旅行者はあくまで旅行者であり彼らにとっては「異邦人」だ。例えパリやロンドンなど憧れの町に何年か身を挺したとしてもその町の歴史を作ったのは彼らであり我々ではない。その町に住んだからと行って一体になれるわけはない。仮に身を置いているだけで、彼らにとってわれわれはあくまで「異邦人」なのだと思う。いつか半年ごとに世界の好きな町に住むのも良いかな、などと考えていないこともないが、想像するに最後に残るものは虚しさしかないのではないかと思うのですが、いかがなものでしょうか?日本に帰ると改めて其のよさがよく分かる、と言う点で旅は価値があるのかもしれません。
7/24(日)
<父の他界>
今月の5日実父が急逝した。葬儀やその後のことでわんこ関係の皆様には何かとご不便をおかけしてしまったこと、深くお詫び申し上げます。また温かい励ましのメールを寄せてくださった方々にはこの場をお借りし心から感謝申し上げます。
誰もが予想しない急な出来事だった。84歳という高齢ながら車を自由に乗り回し、週末となれば塩釜港に停泊させている自分の船で釣り仲間とネウ(アイナメ)、カレイなどを釣りに行くのが最大の楽しみにしていた父である。亡くなる2日前にもいつも通り釣りに行き、前日には会長を務める自分の会社に訪ねて行って仕事の状況を主人(社長)に尋ねていたようだ。母の方が体が弱く、入院したり病院通いを続けていたため大丈夫かと気をつけていたのでかなりのフェイントだった。孫の一人が「おじいちゃんは死ぬことはないと思っていた」と言うほどの頑健な父であった。
亡くなったその日の夜はちょうどわんこ達のワクチンの日で夜9時までやっている獣医さんに行っていて留守だった。車で10分ほどの実家での急死であった。急性の心臓麻痺だったようだ。顔を見て苦しんだ跡が見られないことが幸いだった。責任感の強い父で、家族に面倒をかけまいとの潔い死に様だったような気がする。あるいは多大な苦労をかけた母に対する最後の計らいだったのかもしれない。
娘時代私は父のことが嫌いだった。農林省を辞職後、会社を興す頃の父はストレスからよく母に当たった。いわゆるドメスティックバイオレンスである。顔に青あざを作り家から出される母の姿を何度も見た。食事時突然味噌汁が飛びテーブルがひっくり返るのは日常茶飯、夜夜中にドンドンドンという大きな音に目が覚め、続く母の悲鳴とも嗚咽ともつかない声に妹と2人息を凝らして震えていたことを今でも思い出す。
夫婦不和からまともな子供は育たない。私は重症な人間不信に陥った。中学、高校は登校拒否(今でいう不登校)をよくやった。行ったとしても遅刻し、保健室で休んで早引きした。好きな英語のお陰で中高大一環のエレベーター式学校の大学に拾ってはもらったが、幼い時から受けたトラウマは依然として消えていない。
しかしお互い歳を重ねると時の流れが事態をまろやかに包んでくれる。父の生い立ちを知ることによりいつのころか父のことを理解できるようになった。加害者だと思っていた父自身が実は被害者だったことに気がついた。銀行家で教育パパだった父の父(祖父)の虐待で人格形成に多大なる影を落としてしまったのだ。幼児期に受けたトラウマは一生を左右すると言って過言でない。4歳までの育て方が80、90歳まであとを引く。以前新潟で女子監禁事件があったが、10数年という長きに渡った監禁にもかかわらず精神科医は幼児期以降の監禁だったので回復は可能だとコメントを述べていた。が、それは取りも直さず幼児期からであったら社会復帰は難しかったということになる。幼児期の扱い、環境がいかに人格形成に影響を与えるか、重要かを示している好い例だ。無条件で愛を与えられた者は無条件で他人に愛を傾けることが出来る。だがしかし条件つきの愛情(愛情とはいえない)や、愛情すら与えられない場合は他人に向かい憎しみを発するようになる。人は与えられたものと同じものを他人に発するものだ。今思い出しても父の人生は気の毒なものだったと思う。きつい性格のためトラブルが多かっただけではなく信頼している人によく騙された。信頼すべき人を信頼せず、信じてはいけない人を信じて裏切られた。
私が塾を始めることになった時父は大いに賛成してくれた。それは後日ブリーダーになると決心した時も同じだった。事業を起こした自分に重ねて応援してくれたのだと思う。時折様子を聞いては安心し嬉しそうな顔をした。しかしそれとは裏腹にワンコの頭数が増えるに従い父母の家に訪ねて行く機会がぐんと減ってきた。来客だ、お産だと日曜日でさえ用事がある。父は自分で釣った魚を母にさばいてもらいネウのさしみやカレイの天ぷらをよく持って来てくれた。が、いつ訪ねて来ても私はわんこの世話にかかりっきり・・・。ある時お茶も出さずにわんこの用事をしていたら「帰るから」と言って玄関に立った父の表情が険しかった。私はてっきり「折角訪ねてきたのに相手もしてくれない。これでは何かあっても面倒も見てくれないのだろうな。」と思って怒って帰ったのだろうと察した。ところがそれが誤解だと知ったのは後になってからである。ある時の話の流れで、「こんなにたいへんな重労働をして体をこわさないのだろうか。病気になってしまうのではないかと思うと心配で寝られない」と、父の本当の気持ちがわかったのだ。どちらかと言うと危ないのは老体の父の方なのに、自分より29も若い娘の体の方を心配している父の親心に心打たれた。
きつい性格の反面、子や孫たちには情が深かったことも思い出される。またわんこには特別の思いがあったようでマルチーズ、プードル、最後にヨークシャーテリア、と間を置かずに飼った。玄関先のアプローチでわんこのトイレの用を足しに出している時は通りがかりの近所のガールフレンド(?)のおばさんや同じわんこを飼っているワン仲間に冗談を言っては笑わせていた。
本当の親孝行とは親に物をあげたり、何かしてあげること(だけ)ではない。夫婦が仲良く、そして孫に当たる子供たちを立派に育てていく姿を見せることが真の親孝行である。日ごろ夫婦仲が良いのはもちろんであるが、親と一緒に外出する時にはあえて主人と腕を組んで仲の良いところを親に見せた。お陰さまで子供たちは不登校にもならず、暴走族にも入らず、引きこもりにならず、社会の皆様とのかかわりの中で各人の進むべき道に向かい希望に燃えて生活させていただいていることがなによりと思わせていただく。父が亡くなる前のここ数ヶ月、私に向かい「4人もよくちゃんと育てたなー」としきりに言っていた言葉が最後の言葉になったような気がする。父からあまり褒めてもらえなかった私が、父から贈られた最後の褒め言葉だったのかもしれない。
幽霊は人一倍怖い私だが、父の幽霊に会いたいと切に願う。遺言も残さず、最後の言葉も無しにたった一人さびしく逝ってしまった父の幽霊に心から「有難う、長い間お疲れ様でした。」と言ってやりたい・・・。
7/31(日)
<リピーター>
1昨日は予定通り3頭のプードルを空輸した。行き先は東京、名古屋、鹿児島。時間の調整をしたが、2往復は免れず朝一番に1頭を空港に運び帰宅してちょっと休んでからまた2頭をシャンプーして再び空港へ。「ああ忙しい」と思いつつ以前3往復したこともあるのでそれよりはまだましと思い直す。が、往復の煩雑さより、3頭の子犬たちが全て以前当犬舎からわんこをお求めいただいたことのあるお客様からのご注文であることに深い感動を覚える。1頭はトリミング中心のショップ様へ。1年ほど前ショップのお客様からのお問い合わせでプードルを斡旋していただいた。今回はご自分のわんちゃんとして、またお店の看板犬としてティーカップの女の子をお求めいただいた。2頭目は前にレッド プードルの女の子を2頭お求めいただいた方である。この度で3頭目のリクエストだ。今回はティーカップの男の子をご注文いただいた。そして3頭目は以前ヨークシャーテリアを購入いただいた方である。この度は種オスにとレッドの男の子をご注文いただいた。たくさんのブリーダーさんがいる中、そして過密といえるほどのショップさんがある中から再度当方の犬舎をお選びいただきご予約くださったことを思うと何と有難いことかと頭を下げずにはいられない。 これまでもプードルのオスをお求めの方がメスをお求めくださったり(逆の場合もあり)、1頭目のお友達にと2頭目を求めていただいたり、当犬舎からご購入のわんちゃんが大きくなって合うオスにと交配に送って見えたり・・・と1回だけのご縁だけではなくリピーターになってくださる方々は数多い。
20年ほど前私もワンコを求めるのにいろいろなところに電話をし、また直接出かけて行ったところもある。まだインターネットのない時代である。この世界(犬の世界)の怖さをしらなかった素人時代わんこの雑誌のかたっぱしから電話をして問い合わせした。それまで学習塾をして純真な生徒をのみ相手にしていた私はこの世界がかなりそれまでとはかけ離れていること、そうでなくとも通常の社会とはずいぶん違うことに気付かされた。また派閥があることも次第にわかってきた。いろいろな思いをし、辛酸を舐め、また騙されたこともあったが、その中でも波長の合う、誠実な人柄の一握りのブリーダー友やついていける尊敬すべき先輩に出会った。今ではプードルはあの方、ヨーキーはあの方と決めている。新たに子犬を求める時や交配に送るのはいつも決まったあの方たちである。困ったことがあるといつも親身になって相談に乗ってくれるブリダー友のK氏の存在も見逃せない。用事のあるときお産のワンコを預かってくれたりお役立ち情報をいろいろと教えてくれるブリーダー友のAさんも良い方だ。共通することはこの方たちはワンコの世界だけではなく通常の社会でも十分通用するコモンセンスとバランス感覚を備えている。犬舎を支えてくれるYさん、Mさんも誠実によくやってくれている。どれほど良い方たちの中でワンコをさせていただいているかを思う時改めて心からの感謝の念を抱かずにいられない。
振り返ると自分自身が「この方」と決めたリピーターになっていることに気が付かされるのである。
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