アマンダおばさんの
Random Diary
ランダム ダイアリー
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朝早くに送犬のため空港に向かう。何十回となく、あるいは100回を越えているかもしれない・・・通った道だ。最低でも週1回、多いときには1週間に7日(毎日である)通い続けたこともある。まるで空港に勤務している従業員のようだ。ラッシュ前の早朝だとものの30分で到着する。途中考え事をしていても自動的にあの信号、この信号で曲がり、いつの間にか気がつくと目的の空港に着いている。 <ナーサリー> 朝6時、育児室であるナーサリーのドアを開ける。「おはよう!」の声にまだ寝込んでいた子犬たちが半開きの目をあけて起き上がる。仰向けに寝ている子がその声に驚いてひっくりかえったりもする。あくびをし、一斉におしっこをする。誰が教えたわけでもないのにちゃんと寝るところから遠いところに用を足す。 3/5(土) <ワンコを飼うことでえられるもの> 子犬をお求めいただく御家庭の何割かは小さいお子さんが居られるファミリーで占められる。つい最近も幼稚園に通って?いるような年少の男の子を連れて来られ、子犬を引き取って行かれた。男の子は帰り際、宝物のように子犬をしっかと胸に抱き、「絶対離さないぞ」と言わんばかりの愛着心を見せている。小さい時から生き物を可愛がり愛情を傾けることがいかに豊かで暖かい心を培っていくかを思う時、その男の子の将来までが明るく輝いて見えた。 空港に向かう車の中。1頭は既にファミリーが決まっている子犬。1頭はショップ行きの子犬である。出来るならば個人の方に、お家の環境やお人柄を知った上で直接子犬をお譲りしたい。けれどもタイミングよく譲渡できる子犬ばかりとは限らない。 母の誕生日に先駆けてコーヒーカップ&ソーサーの6客セットを注文する。齢82になろうとしている老齢の母のために予め、地味なバラの絵柄のキャッスルトン・アンティークのセットと、他に、落ち着いた雰囲気ではあっても彩りの綺麗なウエッジウッドの「クタニ」のセットを選んでおいた。プリントアウトしたものを見せてどちらが良いかと尋ねた。すると色の明るいきれいなほうが良い、と言う。予想が外れた。てっきり地味な柄の前者を選ぶものと思っていた。年を重ねるほど身体の老化とは逆行してより美しいもの明るいもの、元気なものを周りに求めるのかも知れない、とふと思った。と同時にある後悔をした。父母の銀婚式のために翁とおみなのしらが頭の人形を贈ってしまったのだ。今から27年も前のことであるから父母はまだ今よりずっと若いころであった。夫婦が末永く仲が良いようにと願いを込めて贈ったものだったが、今自分が同じ年齢に達している現在、がっかりした母の気持ちが手に取るように想像できるのである。老人形を見ていると自分まで老け込んだような気持ちにさせられる。うら若い着物姿の博多人形などを贈ればよかったと何十年前を悔いている私である。人は実際その年齢にならなければわからないことが種々あるのだ。 多くのワンコを抱えるブリーダーは大方24時間勤務のコンビニ状態が何年も続く。寝室などあってないようなものだ。ここ数年はもっぱら、お産間近のワンコのサークルが並んでいるリビングに夫婦で寝泊りしている(ムードも何もあったものではない・・・)。あるブリーダーさんはいつお産が始まるかわからないワンコと自分の手に紐をくくりつけ様子がおかしいとすぐ起きられる体制にしていると言う。そこまではしないが、新聞のガサガサいう音やちょっとでもミューと言う赤ちゃんの声が聞こえると条件反射でぱっと起きる習性ができた。しかし、どんなに夜通しお産で寝ていなくても朝になればたくさんのワンコが口をあけて私の出番を待っている。生き物ゆえいつものルーテイーンは変えられないのだ。引き続き世話に入る。合間に電話が鳴る。今日も朝9時からお譲りしたワンちゃんの育児相談、交配送犬の打ち合わせ、ショップ担当者との四方山話&連絡・・・と続き終わったのがお昼近く・・・。しゃべり続けること延々3時間、顎ががくがく、声がかすれてハスキーボイス・・・。結局お世話は昼からになる。成犬はアシスタントのYさん、Mさんに任せているが産前産後の母犬と子犬は私の担当だ。一口にブリーディングと言っても子犬を譲渡するまでにたくさんの知識を必要とする。犬本体を見る目の他、遺伝学、交配の手法、人工授精、繁殖学、栄養学、薬に関する知識、病気、疾患に関する獣医学、法律、インターネットの知識、その他経験で培われた直感も必要だ。他の職種も同じだと思うが、続けていくうちには良いことばかりではなく辛い厳しいことも多々ある。時には「もうやめた!」と発狂したくなることもある。しかし悲しいかな、他の仕事ならすぐにやめられても相手は生き物、やめたい、と言ってやめられないのである、捨てられないのである。けれども天は良く見ていてくれる。カームダウンしているときにはきっと「がんばれよ」と励ましの配剤をよこしてくれるのである。このダイアリーを楽しみにしています、やめないで続けてくださいというメールが入ったり、昨日も1月にお譲りしたプードルのオーナー様から丁寧なお手紙をいただいた。絵に描いたような達筆で譲渡後の様子を知らせてくださった。新築されたばかりのお宅であることと、お嬢さんがアレルギー症なので絶対犬は飼えない、と思っておられたところ御主人さまがいつの間にかインターネットで子犬を購入、手はずを整えてしまったとのこと、子犬が来るまで不安一杯だったそうです。それが一目見たとたんに全ての心配が吹っ飛んでしまうほどの可愛さでたいへん気に入っていただいたとのことでした。懸念していたお嬢さんのアレルギー症状もないそうで本当に良かった、と心から嬉しくなりました。5月7日(土)の「お宅拝見」のテレビ番組で新築の素敵なお家とプードルのココちゃんが見れる
とのお知らせもいただきました。今からわくわくしている私です。1つこれを励みにワンコの世話、またがんばります! お客様が見えるので久しぶりに玄関、駐車場の周りを掃除する。寒さとワンコの世話にかこつけて最近放ったらかしだった。アプローチのビヤ樽には去年植えてそのままにしていた1年草があわれな姿でミイラ化している。例年のことだが、犬を取るか、花を取るかで迷ったあげく、決まって花が負ける。同じ命でもやはり情を交わしているワンコの世話が優先で花は後回しになる。時に炎天下で半分以上も立ち枯れ状態に気づき大慌てで水を撒くことしばしば・・・あやうく命を助けられた花もあれば間に合わなかったものもある。ガーデナーが知ったら「もってのほか」とお叱りを受けるに違いない。 門を出て駐車場を掃除するとゴミと一緒に白っぽい毛が塵取りに混じっている。懐かしさで胸がキューンとなった。この毛は去年2月に亡くなったゴールデンリトリバーの「シオン」の毛なのだろうか・・それとも9月に亡くなったコーギーの「ボニー」のものだろうか。亡くなってから何度か掃除はしたはずなのにマットの下に忍び込んでいたらしい。早春の風があの頃の記憶をまざまざと蘇らせてくれた。このマットの位置に「シオン」が、そしてあの位置にボニーが・・・。突如ホロスコープが映し出される。駐車場奥のシオンの指定席側のレンガには今でも血痕がついている。大分風化して目立たなくはなっているが、晩年鼻孔癌で亡くなる前、鼻からの出血が苦しくぶるぶるっと振ってはレンガに撒き散らしていたものだった。朝の散歩の後、2頭は駐車場のフェンスに繋がれて番犬の任務を果たしていた。番犬といっても一応ワンワンとは吠えるが、誰にでもなつき、ふと玄関窓から覗くと訪問者相手に仰向けにひっくり返ってじゃれている。同じゴールデンでもけたたましく吠え続けるわんこもいるという中、番犬の役にはたたないが、「性格の良いわんちゃんですね〜」とよく褒められた。心が優しいことは天下一品で、夕方の薄暗い時刻、リードを片手に前庭を通って運動場に移動するときには、私がテラコッタや花壇につまずかないようにと歩度をゆるめてくれるのであった。散歩をする時にも決してリードをひっぱることがなく、リードを持っている意味がないためお決まりのコースのほとんどはリードなしで歩いた。途中、人に出会うと誰彼かまわず、走り寄ってあいさつをし、仰向けになって愛想をふるう。春先の肌寒い頃、運動場でシオンの背中はプードルの温かいベッドになった。物音にワンと吠え立ち上がるシオンに昼寝を妨げられたプードルたちは一斉にひっくり返る・・・。今思い出しても懐かしい牧歌的光景だ。唯一の外飼い仲間のボニー(コーギー)とは特別仲が良いというわけではなかったが、運動場で日頃は別々の場所に座りながらも時々はじゃれて遊んでいたようだ。フェンスがどったんばったんと音がするので見てみると「ぐぁうー、ぐぁうー」と取っ組み合いをしてレスリングごっこをしている。たまにおいしいおやつをやるとあっという間に体の大きいシオンに食べられてしまう。ボニーは残り物をすかさずせしめようとするが、大概は失敗に終わりシオンに一喝され取られてしまうのだ。そんなでこぼこコンビではあったが、密かに友情が育っていたことを知ったのはいつもの散歩をしている時だった。よそのワンコが落としていったウンチをボニーがくわえた折、感染症を懸念した私はボニーをしこたま叱った。確か頭をたて続けにたたいたと記憶している。と、その時だった、すでに広場に躍り出て遠くにいたシオンが何かを感じて猛スピードで走り戻ってきたのだ。そして何を思ったか叱っている私に向かい片足を「お手」して「そんなに叱らないで」と懇願しているではないか。それがいつもの「お手」と違う証拠には頭を低くして申し訳なさそうな顔をしているのだ。自分がした過ちにごめんなさい、をしているのではない、いつも側にいる同居犬のために平身低頭して謝っているのである。まるで「こいつが何をしたかは存じませんが、何とか許してやってはいただけないでしょうか?」と言っているようだった。 三男は横浜の大学に通い、また長男は他県の総合病院で研修医をしている。大学院生の次男は地元の大学に通っているが居を別にしている。長女も結婚して近くに住んでいるが、仕事(薬剤師)で度々は会えない。従って日頃は夫婦2人だけの密やかな毎日がここ何年か続いている。朝主人を見送ったあとは悠々自適の生活だ。食事を作るのも不経済と、店屋物を取ったりスーパーのお弁当で済ませたり・・・と週に何回かは手抜き「料理」だ(料理ともいえない)。 ところがこの1週間、春休みで三男が戻って来た。三男と母の誕生会を開くということで長男も当直の合間を縫って1日だけ戻って来た。就職活動と作品製作で飛び回り時間のない次男も夕食を共にしに立ち寄って来た。長女が婿殿と生後10ヶ月の孫を連れて加わった。家の中はまるで蟻の巣を蹴散らしたように一気に活気付いた。それにしても子供4人の持つエネルギーはとてつもないパワーを内在しているということに気がつく。 思えば長女が生まれて以来4人の子育てをするのには強い決心を要した。食べ盛りの子供たちの食事のことはもちろんだが、教育費のことを考えると頭が真っ白になった。4人を塾に入れるとどの位? 頭の上にソロバン(電卓)が浮かんだ。 え〜いめんどうだ。他人に預ける位なら自分で教えよう・・・と一大決心をし自宅で学習塾を開いたのだ。1対1で我が子を教えると叱ってしまうかもしれない、だが他の子もいる教室の先生となるとなぜか一線を引けるのが不思議だ。子供たちは抵抗なく「お母さんの教室」の生徒になった。もちろん月謝は「ただ(無料)」である。日頃学校に預けっぱなしではわからない我が子の様子が、塾に来ている友達との関わりを通して垣間見ることが出来た。我が子が加わる授業だからと自分でできる最高の授業を準備した。功を奏してか子供の友達が友達を呼びたくさんの生徒で溢れ返った。思い起こせばあの十数年間我が家はハイパーなエネルギーに満ち満ちていた。我が子を含めた彼らから活気と若さとそして数え切れないほどの学びの場をもらった。
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