アマンダおばさんの
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/1(火)

<空港>

朝早くに送犬のため空港に向かう。何十回となく、あるいは100回を越えているかもしれない・・・通った道だ。最低でも週1回、多いときには1週間に7日(毎日である)通い続けたこともある。まるで空港に勤務している従業員のようだ。ラッシュ前の早朝だとものの30分で到着する。途中考え事をしていても自動的にあの信号、この信号で曲がり、いつの間にか気がつくと目的の空港に着いている。
思い起こせばこの道路、はるかかなたの大昔、大学時代の愛の逃避行のラブラブルートであった。18歳で車の免許を取り、ご褒美に父から中古の車を与えてもらった(これが失敗の元)。当時大学に車で通学する学生などいなく堂々とキャンパスに駐車できたこともあって、学校への行き帰りにはもっぱら車を利用した。これだけならまだ許されるのであった、が同時に手軽に講義をさぼれる手段にもなったことが災い(幸い?)した。行き先は空港近くの荒浜海岸。空港直前のわき道から入っていくと松林の奥に広大な海が広がっているのである。砂浜で何も考えずにボーっと寄せては返す波のしぶきを眺めていると何とはなしに心が落ち着いた。人類を含めた生物の原点が「海」にあるためか、潮騒を聞きながら神妙な面持ちで人生を考えたりもした。そうこうしている内にこの丸秘おさぼりコースに現在の主人が加わった・・・。東京出身のご主人様はご当地仙台の国立大学で機会工学を学んでいる真面目な学生さんであったのだ。それがどうしたことだ・・・私のような不良学生に乗せられて・・・。以来、金欠病の学生にとって「海」はお金のかからない恰好のデートスポットになったのである・・・。
今週はあと2回空港に行く予定だ。




/3(木)

<ナーサリー>

朝6時、育児室であるナーサリーのドアを開ける。「おはよう!」の声にまだ寝込んでいた子犬たちが半開きの目をあけて起き上がる。仰向けに寝ている子がその声に驚いてひっくりかえったりもする。あくびをし、一斉におしっこをする。誰が教えたわけでもないのにちゃんと寝るところから遠いところに用を足す。
「元気ですかあ〜?」と声をかけながら便をチェックし、サークルごとに朝のミルクを給仕する。ミルクはもちろんわんこ用のミルク。夜寝る前の最後のチェック&ミルクと朝起き一番のチェック&ミルクはとても大事なポイントになっているのです。これを続けてから低血糖症で倒れるおちびちゃんがいなくなりました。原則自分で飲ませますが、足りないちびちゃんにはシリンジで飲ませます。睡眠時間は7時間ほどですのでその間の空間は食の細い子にとっては致命的です。早朝にチェックしておくとゆっくり安心して(人間の)朝食を取れるメリットもあります。その他午前中に1回離乳食、午後に1回離乳食、夕方ヨーグルト・・・その日によって多少変わるものの大方はこの献立です。欧米のワンコの食事は固形フードと缶詰を半々にして与えているようですが、妊娠犬と出産後のお母さん、子犬は私の所でもそうしております。以前というかつい最近まで栄養のてんこ盛りにしようと思い上記+鳥の胸肉のボイルミンチを混ぜてあげておりましたらドクターストップがかかりました。ドッグフードは栄養のバランスを考えて作られているのだから鶏肉のたんぱく質を余計にあげてバランスを崩してはいけません、と。
ナーサリーのチェックは早朝、午前、午後、夕方、夜寝る前の計5回です。先日テレビで、(人間の)医者のチェックの限界が患者の命の限界だと述べておりましたが、indeed!だと思います。小まめなチェックが大切です。
ナーサリーを覗くたびにちびチャンたちからのラブコールを受けます。ワン語を通訳すると「抱っこしてよ〜」「おいしい御馳走はまだ?」「ママがいないんだけどどこにいったか知らな〜い?(親離れした子)」「一緒にあそんでよー」等など。
そんな中とびきりおきゃんで陽気だったブラウンプードルの女の子が広島に巣立って行きました。夕方には埼玉から御家族でクリームパイの可愛子ちゃんを引き取りに来られました。上段のサークルからいつも「わんわんわんあたちってかわいいでしょ?」と話し掛けてくれていた子です。  3月3日の今日2頭は「ひな祭り」のお祝い犬になりました。




3/5(土)

<ワンコを飼うことでえられるもの>

子犬をお求めいただく御家庭の何割かは小さいお子さんが居られるファミリーで占められる。つい最近も幼稚園に通って?いるような年少の男の子を連れて来られ、子犬を引き取って行かれた。男の子は帰り際、宝物のように子犬をしっかと胸に抱き、「絶対離さないぞ」と言わんばかりの愛着心を見せている。小さい時から生き物を可愛がり愛情を傾けることがいかに豊かで暖かい心を培っていくかを思う時、その男の子の将来までが明るく輝いて見えた。
九州佐世保で起きたクラスメートの殺人事件はその残忍性で世間を震撼させたものだったが、最近のニュースでその校長先生が、生徒たちに命の大切さをわかってもらおうと草花や金魚(詳しくは忘れましたが)などを育てる企画をしていると報道をしていた。
バーチャルリアリティーの世界では殺したはずの人間がまた立ち上がって決闘に挑む。だが、生き物に日々接していると予想の何倍以上に命がもろいものだということに気がつく。子犬などはちょっとの高さから落としてしまっても死ぬ。また体温の調節が出来ない赤ちゃん犬は温度が足りないと生きていけない。初夏の頃もう気温は十分暑いのだから大丈夫と、生まれて2週間のゴールデンの赤ちゃんを屋外の犬舎に親子毎引っ越した。ところが一時の夕立ですっかりずぶぬれになったのを気がつかないでいた。母犬の「シオン」はピーピー泣く赤ちゃん犬をくわえながら困ったように右往左往していた。慌ててドライヤーで乾かしたものの手遅れで子犬はばたばたと死んでいき9頭生まれた子犬の内生存したのは4頭のみだった。目がやっと開いたばかりの可愛いい矢先の出来事だった。亡くなった5頭を1頭ずつ箱の中に並べていく作業は今思い出しても胸が張り裂けんばかりの悪夢の出来事だった。
我が家では子供が小さい時からワンコがいた。4人の一人一人にお気に入りのワンコがいて一緒に寝起きを共にした。4人ともそれぞれに受験地獄を通ってきたのであるが、誰一人としてドメスティックバイオレンスを起こしたことがない。勉強の合間にわんこと戯れることでストレスを発散した。わんこと近くの公園に散歩に行っては気分転換しまた机に向かった。ひきこもりがないどころか皆外が大好きである。友達にも恵まれ、それぞれが希望の実現に向かい励んでいる。知情意(大切な順から情、意、知)のバランスが良い。親の欲目かも知れない、だが、いたいけな生き物のワンコと寝起きを共にし喜怒哀楽を共有することによって、またその命を尊ぶことによって今の人間社会で忘れ去られつつある何かを会得し生き方に及んでいるのではないかと、そんな気がする。
か弱いワンコを人間の手で死に追いやるのはいとも簡単だ。だが、それをブロックするのは人間の愛情と優しさなのだ。ワンコを通し現代人が忘れ去った優しさを取り戻していただきたい。特に未来を背負う子供たちに・・・。




3/9(水)

<子犬の向かう先>

空港に向かう車の中。1頭は既にファミリーが決まっている子犬。1頭はショップ行きの子犬である。出来るならば個人の方に、お家の環境やお人柄を知った上で直接子犬をお譲りしたい。けれどもタイミングよく譲渡できる子犬ばかりとは限らない。
よく子犬を手放す時寂しくなりませんか?と聞かれる。確かに初めの頃はそうだった。しかし直接譲渡した子犬の十中八、九は例外なく皆幸せになっている。こちらで1頭1頭愛情をかけていても、多数のわんこ分の1ではかけられる度合いが自ずと限られる。だが、新しいファミリーにお嫁入り(あるいは婿入り)した子犬は決まって大切に扱われているのである(はずである)。それなので今は特別悲しいということはない。だがしかし、ショップに引き取られるワンコは何日間、あるいはともすると何ヶ月間もの間ショーケースの中で新しいご主人様を待つことになるのだ。長い間置かれたケースの子犬は時に正気を亡くし、まるで人生(犬生)をあきらめた輩のように無感動になっている。檻の中を行ったり来たりの動物園状態の子も見たことがある。あれこれ想像すると出来るだけ犬舎からショップには子犬を送りたくない。けれどもきれい事ばかりを言ってはいられない。たくさんのワンコたちを健康で快適に過ごさせるのに食費はもちろんのこと、その他維持費がたくさんかかるのが現状である。
ワゴン車の後ろでくんくん鳴く声に気がつく、ファミリー行きの子には「もうすぐやさしいお姉ちゃんに会えるからね〜」と明るく話しかけられる。だがショップ行きの子の声を聞くとまるで我が子を身売りする親の心境になる。「ごめんね〜。そのうち良いファミリーに会えるからがまんしてね〜。」と心の中で詫びる。頭の上で悲しいメロディーが浮かぶ。

♪♪ On a wagon bound for market
there's a calf with a mournful eye,
High above him there's a swallow,
winging swiftly through the sky.

How the winds are laughing,
they laugh with all their might,
laugh and laugh the whole day through, and
half a summers night.
♪♪(♪♪ ある晴れた 昼下がり 市場へ続く道〜・・・・ ドナドナドナ〜 ドーナ〜 ♪♪・・・。


まさか屠殺場に連れて行くわけでもあるまいし・・・、と気を取り直す・・・。
ところが、である、3週間前嬉しい出来事があった。ショップさんにお譲りした内の1頭のダックス(♀)の新オーナーさんからメールが届いたのだ。血統書から犬舎がわかったようだ。それによるとショップにいた期間は4,5日だけですぐ購入いただいたようで、寂しい思いをしたのは数日間だけで済んだのである。おまけにすばらしいことには、その方が先住犬を含めたわんこの日記を毎日HP上に公開しておられた。ゆえにおうちに着いたその日から子犬の様子が居ながらにしてわかるのである!(=犬舎から出て空白だった時間はたったの数日間である。) 何と嬉しいことか!! 以来、時折覗いてはうんうんいい子に育っている、と映像を見ながらひそかに微笑んでいる私なのだ・・。
どのような形で譲渡されたにしろ子犬の運命は飼い主で決まると言って過言でない。「性格はどんなですか?」と聞かれることが多々あるが、生まれ持った性格以上に育ての飼い主に似る。犬舎から巣立ったわんこが全員仕合せに命を全うすることを強く願うものである。




3/14(月)

<元気の源>

母の誕生日に先駆けてコーヒーカップ&ソーサーの6客セットを注文する。齢82になろうとしている老齢の母のために予め、地味なバラの絵柄のキャッスルトン・アンティークのセットと、他に、落ち着いた雰囲気ではあっても彩りの綺麗なウッジウッドの「クタニ」のセットを選んでおいた。プリントアウトしたものを見せてどちらが良いかと尋ねた。すると色の明るいきれいなほうが良い、と言う。予想が外れた。てっきり地味な柄の前者を選ぶものと思っていた。年を重ねるほど身体の老化とは逆行してより美しいもの明るいもの、元気なものを周りに求めるのかも知れない、とふと思った。と同時にある後悔をした。父母の銀婚式のために翁とおみなのしらが頭の人形を贈ってしまったのだ。今から27年も前のことであるから父母はまだ今よりずっと若いころであった。夫婦が末永く仲が良いようにと願いを込めて贈ったものだったが、今自分が同じ年齢に達している現在、がっかりした母の気持ちが手に取るように想像できるのである。老人形を見ていると自分まで老け込んだような気持ちにさせられる。うら若い着物姿の博多人形などを贈ればよかったと何十年前を悔いている私である。人は実際その年齢にならなければわからないことが種々あるのだ。
先日私より10歳年上のおばさんというかおばあさん(私が言うのも変である。私自身がおばさんであり、おばあさんだ・・・。)が飼っているレッドのプードルを交配に見えられた。御主人様を亡くされ、子供たちが巣立ち、たった一人で過ごしているのであるが、1年半前にプードルを飼い始めてから生活が明るくなったと言う。わんちゃんとのやりとりやエピソードをにこにこしながら話されるその方の様子より、どんなにわんちゃんが可愛がられているか、そしてその方の傍にわんちゃんが1頭いるだけでどんなにか潤いのある毎日になっているかを彷彿させた。犬がいると朝寝坊もできないと言う。時間になると一緒に散歩に行けと起こしに来るので寝ていられないのだそうだ。犬のお陰で毎日運動をし規則正しく健康な生活が出来る。また一人では話すこともなくなるが、犬がいると(犬相手に)おしゃべりも出来るので毎日がとても楽しい、と言う。「わんこってすごいパワーを持っているんですよね〜!」と意見一致して別れた。(もちろん交配してから・・・。)
実家の親にもワンコをプレゼントしている。マルチーズのボニー、プードルのルナ、プードルのフィフィ、そして現在飼っているヨークシャーテリアのマミ。1頭亡くなり暫らくしてまた1頭・・・とわんこを欠かしたことがない。84歳の父と82歳の母の元気の源はこの「わんこ」なのかも知れない・・・。




3/17(木)

<ブリーダーのお仕事>

多くのワンコを抱えるブリーダーは大方24時間勤務のコンビニ状態が何年も続く。寝室などあってないようなものだ。ここ数年はもっぱら、お産間近のワンコのサークルが並んでいるリビングに夫婦で寝泊りしている(ムードも何もあったものではない・・・)。あるブリーダーさんはいつお産が始まるかわからないワンコと自分の手に紐をくくりつけ様子がおかしいとすぐ起きられる体制にしていると言う。そこまではしないが、新聞のガサガサいう音やちょっとでもミューと言う赤ちゃんの声が聞こえると条件反射でぱっと起きる習性ができた。しかし、どんなに夜通しお産で寝ていなくても朝になればたくさんのワンコが口をあけて私の出番を待っている。生き物ゆえいつものルーテーンは変えられないのだ。引き続き世話に入る。合間に電話が鳴る。今日も朝9時からお譲りしたワンちゃんの育児相談、交配送犬の打ち合わせ、ショップ担当者との四方山話&連絡・・・と続き終わったのがお昼近く・・・。しゃべり続けること延々3時間、顎ががくがく、声がかすれてハスキーボイス・・・。結局お世話は昼からになる。成犬はアシスタントのYさん、Mさんに任せているが産前産後の母犬と子犬は私の担当だ。一口にブリーディングと言っても子犬を譲渡するまでにたくさんの知識を必要とする。犬本体を見る目の他、遺伝学、交配の手法、人工授精、繁殖学、栄養学、薬に関する知識、病気、疾患に関する獣医学、法律、インターネットの知識、その他経験で培われた直感も必要だ。他の職種も同じだと思うが、続けていくうちには良いことばかりではなく辛い厳しいことも多々ある。時には「もうやめた!」と発狂したくなることもある。しかし悲しいかな、他の仕事ならすぐにやめられても相手は生き物、やめたい、と言ってやめられないのである、捨てられないのである。けれども天は良く見ていてくれる。カームダウンしているときにはきっと「がんばれよ」と励ましの配剤をよこしてくれるのである。このダイアリーを楽しみにしています、やめないで続けてくださいというメールが入ったり、昨日も1月にお譲りしたプードルのオーナー様から丁寧なお手紙をいただいた。絵に描いたような達筆で譲渡後の様子を知らせてくださった。新築されたばかりのお宅であることと、お嬢さんがアレルギー症なので絶対犬は飼えない、と思っておられたところ御主人さまがいつの間にかインターネットで子犬を購入、手はずを整えてしまったとのこと、子犬が来るまで不安一杯だったそうです。それが一目見たとたんに全ての心配が吹っ飛んでしまうほどの可愛さでたいへん気に入っていただいたとのことでした。懸念していたお嬢さんのアレルギー症状もないそうで本当に良かった、と心から嬉しくなりました。5月7日(土)の「お宅拝見」のテレビ番組で新築の素敵なお家とプードルのココちゃんが見れる とのお知らせもいただきました。今からわくわくしている私です。1つこれを励みにワンコの世話、またがんばります!
長年居てくれたワンコが病気になったり、いたいけな子犬がうまく育たず亡くなるとどうしてこんな思いをしなければならないのかと悲嘆にくれ、ブリーダーなどしていなければ味わわなくとも済むのに・・・と思います。わんこ達がいなかったらどんなに優雅でのんびりした生活が出来ることだろうかと想像したりもいたします。けれど、ただ主婦だけの生活であったなら、これだけ多くの方々とのお出会いがあっただろうか、また、わたくしごときに構ってくれるメールや電話がこれだけ多くあるだろうか、また必要な知識を得るのに頭を使うことがこれほどあっただろうか・・・と思う時、最後に残るものは決して欲得ではない、多くの人との係わり合いであり、心の交流以外の何物でもないことに気がつくのであります。金銭では得られないもの・・・余計な無駄や装飾物を全て取り去った後に残るもの・・・それは心でしょう・・・。50うん才の「老体」に鞭打って、「ぼけ防止」のためにも今日1日ワンコに励みます!




3/21(月)

<シオンとボニーの思い出>

お客様が見えるので久しぶりに玄関、駐車場の周りを掃除する。寒さとワンコの世話にかこつけて最近放ったらかしだった。アプローチのビヤ樽には去年植えてそのままにしていた1年草があわれな姿でミイラ化している。例年のことだが、犬を取るか、花を取るかで迷ったあげく、決まって花が負ける。同じ命でもやはり情を交わしているワンコの世話が優先で花は後回しになる。時に炎天下で半分以上も立ち枯れ状態に気づき大慌てで水を撒くことしばしば・・・あやうく命を助けられた花もあれば間に合わなかったものもある。ガーデナーが知ったら「もってのほか」とお叱りを受けるに違いない。   門を出て駐車場を掃除するとゴミと一緒に白っぽい毛が塵取りに混じっている。懐かしさで胸がキューンとなった。この毛は去年2月に亡くなったゴールデンリトリバーの「シオン」の毛なのだろうか・・それとも9月に亡くなったコーギーの「ボニー」のものだろうか。亡くなってから何度か掃除はしたはずなのにマットの下に忍び込んでいたらしい。早春の風があの頃の記憶をまざまざと蘇らせてくれた。このマットの位置に「シオン」が、そしてあの位置にボニーが・・・。突如ホロスコープが映し出される。駐車場奥のシオンの指定席側のレンガには今でも血痕がついている。大分風化して目立たなくはなっているが、晩年鼻孔癌で亡くなる前、鼻からの出血が苦しくぶるぶるっと振ってはレンガに撒き散らしていたものだった。朝の散歩の後、2頭は駐車場のフェンスに繋がれて番犬の任務を果たしていた。番犬といっても一応ワンワンとは吠えるが、誰にでもなつき、ふと玄関窓から覗くと訪問者相手に仰向けにひっくり返ってじゃれている。同じゴールデンでもけたたましく吠え続けるわんこもいるという中、番犬の役にはたたないが、「性格の良いわんちゃんですね〜」とよく褒められた。心が優しいことは天下一品で、夕方の薄暗い時刻、リードを片手に前庭を通って運動場に移動するときには、私がテラコッタや花壇につまずかないようにと歩度をゆるめてくれるのであった。散歩をする時にも決してリードをひっぱることがなく、リードを持っている意味がないためお決まりのコースのほとんどはリードなしで歩いた。途中、人に出会うと誰彼かまわず、走り寄ってあいさつをし、仰向けになって愛想をふるう。春先の肌寒い頃、運動場でシオンの背中はプードルの温かいベッドになった。物音にワンと吠え立ち上がるシオンに昼寝を妨げられたプードルたちは一斉にひっくり返る・・・。今思い出しても懐かしい牧歌的光景だ。唯一の外飼い仲間のボニー(コーギー)とは特別仲が良いというわけではなかったが、運動場で日頃は別々の場所に座りながらも時々はじゃれて遊んでいたようだ。フェンスがどったんばったんと音がするので見てみると「ぐぁうー、ぐぁうー」と取っ組み合いをしてレスリングごっこをしている。たまにおいしいおやつをやるとあっという間に体の大きいシオンに食べられてしまう。ボニーは残り物をすかさずせしめようとするが、大概は失敗に終わりシオンに一喝され取られてしまうのだ。そんなでこぼこコンビではあったが、密かに友情が育っていたことを知ったのはいつもの散歩をしている時だった。よそのワンコが落としていったウンチをボニーがくわえた折、感染症を懸念した私はボニーをしこたま叱った。確か頭をたて続けにたたいたと記憶している。と、その時だった、すでに広場に躍り出て遠くにいたシオンが何かを感じて猛スピードで走り戻ってきたのだ。そして何を思ったか叱っている私に向かい片足を「お手」して「そんなに叱らないで」と懇願しているではないか。それがいつもの「お手」と違う証拠には頭を低くして申し訳なさそうな顔をしているのだ。自分がした過ちにごめんなさい、をしているのではない、いつも側にいる同居犬のために平身低頭して謝っているのである。まるで「こいつが何をしたかは存じませんが、何とか許してやってはいただけないでしょうか?」と言っているようだった。
体育館の大きな階段は恰好の運動場だった。一緒に登ったはずの階段脇の隙間にサッと隠れると、私が居ないことに気づいたシオンがきょろきょろ探している様子を見てからかうのは一興だった。生後6か月で仙台空港に降り立ち、大きいのにびっくりしている人間を尻目にあれよあれよという間に横付けした車の座席にちゃっかり乗り込んだ。以来子供たちの多感な時期を共に過ごした10年間・・・海川に行って一緒に泳ぎ、朝市に連れて行って買い物をした。近くの河川で土手を登ったり降りたり・・・かもの親子をねらっては叱られた。家の中でゴールデンを飼う家庭もある中私はどうしても毛が飛ぶのが嫌だった。だが、シオンは生涯で2度ほど家の侵入に成功した。1度目はいきなり台所に座っていたのだ。2度目はダイニングの壁横に匍匐姿で目尻をさげて横たわっていた。そして3度目、亡くなる3日前にやっと念願が叶い憧れの家の中に堂々と入れたのである。前の年に癌が発見されて半年の命だと告げられた。そして予告通りちょうど6ヵ月後の2月1日、シオンは静かに息を引き取った。シオンの臨終は多くの「身内」を引き寄せた。父母はもちろんのこと、地元大学院の近くに住む次男、嫁いだ長女が会いに来た。日吉の大学にいる三男は試験の最中で来れなかったが、医学生だった長男は医師国家試験が目前だったにもかかわらずはるばる5時間もの列車を乗り継いで看取りにやって来た。長男の大学受験は過酷だったが、どんなにかこのシオンに助けられたことか。よく夜中に、気分転換を図りシオンを連れ出して公園に行ったものだ。意識不明の中、大好きだった主人を起こし、私を起こしてシオンは逝ってしまった。1年前の寒い夜だった。
その後ボニーは、やっと愛情を一人占めできたにもかかわらず半年後シオンの後を追うように5歳で逝ってしまった。思いがけない交通事故だった・・・。
以来、主人と私の散歩をお供するわんこがいない・・・。



3/30(水)

< 子育て>

 三男は横浜の大学に通い、また長男は他県の総合病院で研修医をしている。大学院生の次男は地元の大学に通っているが居を別にしている。長女も結婚して近くに住んでいるが、仕事(薬剤師)で度々は会えない。従って日頃は夫婦2人だけの密やかな毎日がここ何年か続いている。朝主人を見送ったあとは悠々自適の生活だ。食事を作るのも不経済と、店屋物を取ったりスーパーのお弁当で済ませたり・・・と週に何回かは手抜き「料理」だ(料理ともいえない)。  ところがこの1週間、春休みで三男が戻って来た。三男と母の誕生会を開くということで長男も当直の合間を縫って1日だけ戻って来た。就職活動と作品製作で飛び回り時間のない次男も夕食を共にしに立ち寄って来た。長女が婿殿と生後10ヶ月の孫を連れて加わった。家の中はまるで蟻の巣を蹴散らしたように一気に活気付いた。それにしても子供4人の持つエネルギーはとてつもないパワーを内在しているということに気がつく。 思えば長女が生まれて以来4人の子育てをするのには強い決心を要した。食べ盛りの子供たちの食事のことはもちろんだが、教育費のことを考えると頭が真っ白になった。4人を塾に入れるとどの位? 頭の上にソロバン(電卓)が浮かんだ。 え〜いめんどうだ。他人に預ける位なら自分で教えよう・・・と一大決心をし自宅で学習塾を開いたのだ。1対1で我が子を教えると叱ってしまうかもしれない、だが他の子もいる教室の先生となるとなぜか一線を引けるのが不思議だ。子供たちは抵抗なく「お母さんの教室」の生徒になった。もちろん月謝は「ただ(無料)」である。日頃学校に預けっぱなしではわからない我が子の様子が、塾に来ている友達との関わりを通して垣間見ることが出来た。我が子が加わる授業だからと自分でできる最高の授業を準備した。功を奏してか子供の友達が友達を呼びたくさんの生徒で溢れ返った。思い起こせばあの十数年間我が家はハイパーなエネルギーに満ち満ちていた。我が子を含めた彼らから活気と若さとそして数え切れないほどの学びの場をもらった。
 夫と二人の新婚時代に戻った現在は楽しくないか?というと楽しくなくはない。けれども子供が居ると居ないとで料理の味に違いが出てくるのはどうしたことだろう?子供のためとなると料理途中何度も味見をしてはベストを追求する。ところが主人と2人のための料理に途中の味見はあまりない。出たとこ勝負の味で食事になるのである。時にしょっぱかったり、薄味だったり、はたまた辛すぎたり・・・お湯で薄めたりお醤油を足したり、と各自で調整することになる。(・・・反省)
子供が小さい頃から6人揃ってキャンプをしたり旅行をよくした。冬は毎週のように近くの山にスキーに行き、海へは鴨の親子のごとく列を成し子供の友達も引き連れて自転車で行ったものだった。そんな中最初に家を出たのは長男だった。浪人の末に勝ち取った大学合格ではあったが、嬉しい反面いつも一緒だった子供の一人が欠けることは自分でも意外なくらいにさびしかった。長男が出発した日の夕方、スーパーに行くと今まで6人家族の6切れ分を買っていた魚の切り身がもう5切れでいいのだと気付いた時、思いがけず涙が溢れ出た。子供たちの食後のデザートにといつも2個入りヨーグルトのパック2つを買っていたのが、もう4個は必要ないのだ、3個で良いのだと気が付くとまたまた泣けてしょうがなかった。涙で目が霞んで品物が見えない・・・泣きながらスーパーをショッピングしたのは私くらいなものではないだろうか。  卒業、入学の季節がやってくると決まってこの日のことを思い出す。
 もともと子供は私有物ではない。我が家で育て、いずれは人世のため社会に送り出してやる運命にある。我が家で「育て」と記したが育ててもらったのは親の方かもしれない。子供によってどれだけ学ばせてもらったか計りしれないからだ。少子化が叫ばれている昨今、子供を育てることにより親自身が育ち与えてもらうものの大きさを思う時、若い世代のカップルにおかれましてはワンコだけでなく是非御自身のお子さんを育てる喜びを実感していただきたいと切に願うものであります


*不許転載*Copyright(C) 2001 S.Miyazawa
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