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11月21日(月)

<追憶>

数日前たまたまテレビで「追憶」をやっていてその場を離れられなくなった。周知のようにバーバラストライザンドとロバートレッドフォードの悲恋のストーリーだ。「追憶」は38年も前のこと、赤ん坊だった長女を母に預けて主人と映画館に見に行った覚えがある。その後ビデオを購入し、何度も何度も繰り返し見た。が、少なくともここ10年は忘れられた存在で見ていなかった。見る側の年齢や経験で受け止め方が大分変わってくる。多くの人が指摘しているように、私も当初はバーバラ演じるケイティーの顔がなじめずいまいちのめりこむことはなかったように思う。ただレッドフォードの男ぶりの良さ素敵さと、バックに流れるバーバラ自ら歌う「The Way We Were」の挿入歌がとても素晴らしく印象に残る作品となった。今よりは良き時代のアメリカが彷彿とさせられる秀作でもある。だが、今回十数年ぶりで見た「追憶」により今まで理解できていなかった二人の別れの本当の理由が明らかになった。抱きしめて離さない愛のほかに「捨てる愛」のあることに改めて気づかされたのだ。以前は、ケイティーとハベルが分かれた理由はハベルがケイティーの急激な思想についていけないからだと単純に思っていた。だが理由はそればかりではなかったのだ。ハベルの脚本家としての仕事がケイティーの思想活動で赤狩りの対象になることを危惧したケイティーが、ハベルとの子供を生み落としながらもハベルの将来を考え、身を引くことを考えたからだと理解できた。何度も喧嘩しては「一緒にいて」と懇願したケイティーが自ら決意するには相当の覚悟が必要だっただろう。そこには愛するハベルの幸せを思う故の「捨てる愛」があったのだ。
 10年後二人はニューヨークの街路で偶然再会するが、言葉少ない会話の中に時を隔てた変わらぬ愛が存在することに気付かせられる。ハベルの表情には、一途な彼女を最後まで支え切れなかった自責の念が読み取れた。ケイティーはストーリー中たびたび涙をみせていたが、ハベルが涙ぐんだのはこのラストシーンのみだった。自分と自身の才能を一番に理解してくれたケイティーを深く愛していたにも関わらず添い遂げられなかった自分への自責の念で溢れた涙だったのではないだろうか。
 ケイティーの役はバーバラでよかったのだ。改めてバーバラ・ストライザンドのエンターテイナー(アーチスト)としての才能が浮き彫りにされる。
 「追憶」は彼らがともに過ごした20年を回想するシーンから始まるが、我々にとって「追憶」という作品自体が37年前の追憶だ。

 若かったあのころはもう2度と戻っては来ない・・・。ケイティーとハベルのラストシーンは同時に自分自身への郷愁でもある(涙)。
<クリック↓>ユーチューブで挿入歌とダイジェストの映像が見られます。
http://www.youtube.com/watch?v=kxRpq_6kjg8&feature=related




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