アマンダおばさんの
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1月22日(木)

<オバマ大統領の就任式に思う>

新年明けましておめでとうございます。昨年中は格別のお引き立てを賜り衷心から御礼を申し上げます。また皆様よりご愛犬のお写真入りの年賀状をいただき微笑ましく拝見させていただきました。

明けまして・・・と言ってすでに20日過ぎ・・、学生時代から試験前の一夜付けが常習で、ぎりぎりにならないとお尻に火がつかない性格はいまだに変わらない。申し訳ございません。

合衆国ではアフリカ系アメリカ人として初めてオバマ氏が大統領に選ばれた。かの演説を聞き、涙したのはブラックピーポーだけではなかったようだ。白人も同様に感動の涙を流した光景を垣間見た。黒人が奴隷として連れて来られ、以来差別に苦しんできたことは想像に難くないが、白色人種の彼らも差別をすることで良心の呵責に苛まされながら過ごしてきた年月ではなかっただろうか。差別をすることで自分の中の善の部分がどんどん削がれていくことはなかったのか。ある意味黒人が大統領になることで、ある種の白人層にとっても少しなりとも悪なる心の重荷が解き放たれたと言えはしないだろうか。

かのマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された年、私は高校生だった。ミッションスクールに通っていた私は学校の日課になっていた朝の礼拝堂の席で初めてアメリカの黒人牧師が遊説後暗殺されたことを知った。名前さえ聞いたことがなかったが、牧師のために全員が指を折り神に祈った光景を今でも覚えている。クリスチャンの先生の多くは涙を流しておられた。あれから40年の歳月が流れアフリカ系アメリカ人の黒人が晴れて大統領に選ばれたことは稀に見る歴史上の1ページとなることであろう。彼の自叙伝的映画によると生活のあらゆるところで白人と黒人の差別があり、バスの席も前方、後方で座る場所が区切られていたようだ。

しかしこの差別はアメリカの白人と黒人の間にだけ存在するものであろうか。私は外国に住んでいた経験がなく限られた国を旅行しただけの甚だ経験の乏しい者だ。ワンコをお譲りさせていただいた方の中には何年か外国暮らしをされてきた方々がおられるのでその方達の方がよくご存知であることは明らかである。だがある時、題名は忘れたが、差別をされている日本人について書かれた本があり、その頃よく海外に旅行していたこともあり興味深く読んだものだった。それによると欧米人の差別感覚は何も黒人に限ったことではなく、アジアの日本人に対しても根強い蔑視があるという。団体旅行で添乗員に守られ、セットされた旅行では感じにくいかも知れないが、個人旅行をし、直にその国の人たちと接しながら旅をすると良い思いもする一方でそうでない扱いを感じることがある。例えば、バスの席ではないが、レストランに入ると奥が空いているにもかかわらずウエイターに案内された席が入り口付近だったり厨房に近かったり、注文を取りにくるのも故意にとしかいえないくらいに他と比べて遅かったりと・・・。もちろん親切な人々が大多数で、車で道を尋ねれば自分の車についてきて、と言ってわざわざ道案内をしてくれた人たちはどの国にもいたし親切な学生さんにフランス語で通訳をしてもらったこともある。一方で英国人は比較的親切だが、長年駐留したことのある人に聞くとそれは表面だけである線以上はブロックして領域に入ることを快く思わないという。時としてアジア人は黒人以下に見られる場合もあるようだ。物事を否定的に受け取るつもりはないが、そういう事実があるということを知っておく必要はあると思う。それでは日本人同士差別はないのかというと、部落の問題、アイヌ問題などマスコミに取り上げられるところを見ると例外ではなさそうだ。

肌の色や外見他で人を差別する根底に心の未熟さが存在する。その部分がクリアーできないと真の意味で心の成長は止まったも同然だ。白人だからと言う理由で優越感を持ち横柄な態度をとる欧米人には心底嫌悪感を感じる。かつてボランティアで我が家に迎え入れた外国人合計5、60名の方にそうした不遜な態度をする人は少数に留まってはいたが。確かに一人一人は良い人なのだろう。大学院時代カリフォルニアのUCLAで交換留学生として学び、キャンパス内の多くのアメリカ人学生(及びその他)と接した次男は、開口一番「皆良い人ばかりだった」と言う。

少なくともこれからの社会はキング牧師の、I have a dream that my four children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by their character.」の言葉通り 肌の色で評価されるのではない、その人格で評価される世界の実現を目指し身近なところから互いに努めてゆきたいものである。本来人間は善なる魂をその心の奥底に宿しているものだ。差別されるほうも差別するほうも心に傷や陰りを残す点では同じなのだ。

就任演説を聞きに遠くから来た黒人の人たちの表情が祖先から綿々と引き継がれた並々ならぬ差別の苦しみを物語っていた。Yes,we can! のセンテンスに経済危機も踏まえた「不安からの脱出」に自ら希望を託したい。



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